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「娘を戻してほしい、という思いは変わらない」と語る杉山恭枝さんの母池田光代さん。高齢のため追悼慰霊式の出席は見送った=25日午前、川西市内(撮影・風斗雅博)
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「娘を戻してほしい、という思いは変わらない」と語る杉山恭枝さんの母池田光代さん。高齢のため追悼慰霊式の出席は見送った=25日午前、川西市内(撮影・風斗雅博)
新城靖枝さん(左)と杉山恭枝さん
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新城靖枝さん(左)と杉山恭枝さん

 発生から14年となった尼崎JR脱線事故。現場に立つ慰霊の名碑に、仲良しだったママ2人の名前が並んで刻まれている。「新城靖枝 杉山恭枝」。職場も、名前の読みも同じ。あの朝も兵庫県川西市のJR川西池田駅で待ち合わせ、快速電車の2両目に乗り込んだ。JR西日本が設けた名碑には五十音順に犠牲者名が並ぶが、双方の遺族が隣り合わせを希望した。子どもを残し、突然絶たれた命。寄り添う名前が「事故はもう二度と」と訴えかける。(中島摩子、小川 晶)

 名碑は、昨年9月に事故現場一帯に整備された追悼施設「祈りの杜」にある。名前を刻むかどうかは、遺族の要望に応じて「刻む」「刻まない」「内部の石板に刻み4月25日のみ公開」「石板に刻むが非公開」の四つから選択された。JR西はその内訳を公表していないが、名碑の表面には68人が記されている。

 大阪府豊能町の新城靖枝さん=当時(41)=と川西市の杉山恭枝さん=当時(34)の2人の名は、あいうえおの五十音順に犠牲者名が続いた後に並ぶ。新城さんは10代の娘3人の母親で、杉山さんは小学2年の息子と幼稚園の娘を1人で育てていた。

 ともに大阪市内の運輸会社に勤めていた。出勤時に待ち合わせたJR川西池田駅ホームの固定カメラには、事故が起きる約7分前、2005年4月25日午前9時11分に杉山さんのもとに笑顔で駆け寄る新城さんの姿が写っていたという。

 2人の名前を隣り合わせにするよう求めたのは、杉山さんの母、池田光代さん(81)=川西市=だ。事故後、杉山さんの上司から「2人はいつも笑って話していた」と聞き、「あの世でも仲良くしてほしい」と願った。新城さんの母、大島静子さん(82)=大阪府豊中市=も「娘も喜ぶ」と提案を快諾した。

 「娘の最期の場所であり、娘の証し」と刻銘を望んだ池田さんは昨年9月、祈りの杜を見学し、名碑の前に立った。どうしてだか、名碑全体に白い霧が掛かったようで、「恭枝」の2文字だけが浮き上がって見えた。不思議だったが「恭枝が『私を見て』と思っているのかな」と納得した。それほどに、名碑への思いは強かった。

 杉山さんの子ども2人は事故後、姉夫婦が引き取り、社会人と大学生に成長した。「恭枝も新城さんも、どれだけ心残りやったか。子どもたちがすくすく大きくなったのは、2人が守ってくれているから」と池田さん。25日は墓前で手を合わせ、「JR西はただただ安全運行してほしい。それだけを願っています」と声を絞った。

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