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青春期の苦悩、古里への思いが赤裸々につづられた三木露風の書簡=たつの市龍野町上霞城
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青春期の苦悩、古里への思いが赤裸々につづられた三木露風の書簡=たつの市龍野町上霞城
三木露風(1908年撮影)
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三木露風(1908年撮影)

 童謡「赤とんぼ」の作詞者で知られる詩人、三木露風(1889~1964年)が、10代後半に出身地・兵庫県たつの市の友人に宛てた書簡が見つかった。同市立龍野歴史文化資料館が発表した。早熟の天才詩人として世に出る前に抱いた焦燥、文壇での活躍を誓う固い決意を率直につづっており、同館は「露風の内面を知る上で新たな視点を提供する貴重な資料」としている。

 見つかったのははがき、手紙各1通と短冊1点。龍野藩士だった同市新宮町平野の村田家が保管しており、昨年12月、蔵を整理中に文机の引き出しから発見された。書簡は「村田詩泉」宛てで、県立龍野中学校(現龍野高)時代の友人とみられる。

 はがきは明治38(1905)年の消印で当時露風は15歳。前年に同中から岡山の閑谷学校に転学。詩などの創作を活発化させていた。はがきには与謝野晶子の歌集「恋衣」について「渾身の血が燼ゆるやうだ」と読後の感動を書く。

 原稿用紙の手紙は5枚(全6枚で5枚目が欠損)。閑谷学校を中退して上京し、下積みを続けていた時期に書いたとみられる。北原白秋と並ぶ二大新鋭詩人として注目されたのは、その後のことだ。

 手紙では「龍野中学に在って不平兒の名をなした昔が戀しくて堪まらぬよ」と古里を懐かしむ一方、詩人として日の目を見ぬまま埋もれていく将来の不安を吐露。「よしや文壇不遇の裡に斃れるとも僕は遂に文壇の人として死ぬ可き事を君に茲に誓って置く」と悲壮なまでの決意を語る。

 また村田から軍歌の依頼を受けたとみられ、「強ひて書けといふなら書くが碌なものは出来ないよ」と遠回しに断り、文学的な志向の一面をうかがわせる。

 同館の新宮義哲学芸員(48)は「志を持って人生の模索期を乗り越えていく先輩として、若い人にも見てほしい」と話す。書簡は今月27日~6月2日、たつの市立龍野歴史文化資料館(TEL0791・63・0907)で公開される。(松本茂祥)

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