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畑を耕す姿も日常の風景として収められている(いずれも1939年ごろ)
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畑を耕す姿も日常の風景として収められている(いずれも1939年ごろ)
腕相撲を楽しむ開拓団の少年たち
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腕相撲を楽しむ開拓団の少年たち
餅つきの様子。日本の文化を紹介するような写真も多い
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餅つきの様子。日本の文化を紹介するような写真も多い

 戦前、戦中に国策の「満蒙(まんもう)開拓団」として旧満州国に渡った少年たちの日常生活を撮った写真が宍粟市山崎町で見つかった。同町の故中尾美義(みよし)さんの遺品で、若者が腕相撲や読書、農作業などをする姿を捉えた約370枚。遺族から寄贈を受けた姫路市平和資料館(同市西延末)は「開拓団の生活が分かる写真は少なく貴重」と評価し、2019年度中にも一部を公開する方針を決めた。(宮本万里子)

 写真は1冊の分厚いアルバムにまとめられていた。表紙に「昭和14年度〈第2次〉満蒙開拓青少年義勇軍大和鎮青年義勇隊開拓団 第三中隊〈中隊写真史〉」と記されている。中尾さんの三男新二さん(65)が発見した。

 写っているのは少年たちが並木道を歩いたり、牛の乳搾りをしたりする様子。かっぽう着姿の女性が裁縫をする光景や、少年が笑顔で入浴する場面もあり、のどかな暮らしの風景の写真が大半を占める。

 アルバムに掲載された序文や制作後記によると、1939(昭和14)年12月から中国北東の「昌図(しょうと)特別訓練所」ですごした「大和鎮(やまとちん)」という中隊を撮った写真で、76年9月、元小隊長が持っていたアルバムの写真を複写し、一冊にまとめたとみられる。

 中尾さんは京都市で生まれ育ち、志願して満州へ。静岡県浜松市で終戦を迎えた後、親の故郷の宍粟市に移り、結婚して建築・板金職人として働いた。10年、86歳で他界した。

 新二さんは父から満州時代の話を聞いたことがなかく、「写真には父も写っているが、平穏な様子が多く、驚いた」と話す。「父が満州にいたのはきっと開戦前。この後、日本が悲惨な戦争へと突き進んだのかと思うと、胸が痛んだ」といい、歴史を後世に伝えたいと寄贈を思い立った。

 同資料館の梶原久義副館長は「軍関連の写真が多い寄贈品の中で、珍しい。満州の地で日本文化がそのまま息づいていた様子がよく分かる。戦争を多面的に伝える資料として広く市民に見てもらいたい」と話す。

◇広報用という側面も/三沢亜紀・満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)事務局長の話

あまり残っていない写真。満蒙開拓団は終戦前のソ連侵攻による悲劇がよく語られるが、写真の中の少年たちの和んだ姿から、現地での生活に喜びや楽しいひとときもあったことが分かる。一方で義勇軍については粗末な食生活など厳しい話も多い。移民を集めるための広報用の写真という側面もあったかもしれない。

【満蒙開拓団】満州事変(1931年)後、国が国内の貧しい農村の救済などを掲げて推進した満州国(中国東北部と内モンゴルの一部)への移民。全国で約27万人、兵庫県からは約4400人が海を渡ったとされる。多くの人が旧ソ連の対日参戦で犠牲になったほか、シベリア抑留や中国残留を余儀なくされた。満蒙開拓青少年義勇軍は16~19歳の少年を対象に募り、約8万5千人が満州に送り出された。

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