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 「明石城公園」に改称する案が浮上している兵庫県立明石公園。そもそも城跡に設立された公園なのに、名前に「城」が付けられなかったのはなぜか-。史料が残っていないため理由は不明だが、疑問を解く鍵は公園設立の経緯と、当時の時代背景にありそうだ。

 明石城は1619(元和5)年、徳川家康のひ孫で初代城主の小笠原忠政(後の忠真)が、義父で姫路藩主の本多忠政の協力を得て築いた。明治維新後は、新政府が出したいわゆる「廃城令」により軍事的利用価値がないとされ、「民間などに払い下げられる城郭」に分類された。

 ところが1881(明治14)年、神戸の小学校建設資材として城の櫓の一部が取り壊されたのを機に、旧藩士らが保存を求めて県などに抗議。当時の新聞は「決死 籠城の覚悟」との見出しで、士族500人が物々しい集会を開いた様子などを報じている。

 2年後、有志運営の私設公園として許可を受けた。当時、廃城が決まった城跡が公園に認められたのは県内で初めて。全国でも5例しかなかった。

 城郭研究家の森山英一さん(82)=川崎市=は「旧士族が尽力して城を保存した珍しいケース。ただ、新政府に反乱と取られかねない騒動にもなっており、これ以上刺激しないよう、城という名称を避けたのでは」と推測する。(小西隆久)

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