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40年前の新聞記事を手に当時を振り返る田辺聖子さん=2011年3月2日、伊丹市内の自宅
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40年前の新聞記事を手に当時を振り返る田辺聖子さん=2011年3月2日、伊丹市内の自宅

 文壇の中心である東京から離れた神戸・阪神間を拠点に、軽妙な文体と人間への優しいまなざしで作品を書き続け、“おせいさん”の愛称で親しまれた作家の田辺聖子さんが6日、91歳で亡くなった。戦中戦後の苦難にめげず、人に贈る色紙には「まいにち ばらいろ」としたためた。「深いことを軽く、やさしく、面白く」が著書を貫く姿勢。小説やエッセー、古典、川柳など多彩な文筆活動だけでなく、生き方においても達人だった。

 幼少時から読書好きで、少女雑誌へ盛んに投稿していた田辺さんだが、1945(昭和20)年の大阪大空襲で自宅が全焼。程なく父親とも死別し、金物問屋に勤めて家計を支えた。

 27歳の時、学生や社会人、主婦ら幅広い人たちが小説や詩などを学ぶ大阪文学学校(大阪市中央区)へ入学。講師だった神戸の詩人・足立巻一(けんいち)氏(故人)は後に「週1回の合評会に毎回60枚、100枚とエネルギッシュに出すので、こっちが追いまくられた」と、その健筆ぶりを振り返った。

 66年に神戸市兵庫区の荒田町診療所長だった川野純夫さん(故人)と結婚。いきなり先妻との子ども4人の母となり、執筆のほか家事にも追われたが、田辺さんは生前、当時の生活について「毎日が新発見。笑うた記憶しかあらへん」と話した。この10年間の神戸時代に「言い寄る」など初期の名作を次々生み出した。

 宝塚歌劇の大ファンとしても知られ、伊丹市へ移り住んだ後の78年に、小説「隼別王子(はやぶさわけおうじ)の叛乱(はんらん)」が歌劇でミュージカル化された。81年には代表作の一つ「新源氏物語」も上演され、「どんな文学賞よりも感激」と少女のように喜んだ。

 95年の阪神・淡路大震災後には、復興へ立ち上がる市民らの姿をユーモラスにつづった手記「ナンギやけれど…わたしの震災記」を発表。「神戸は女性のパワーのいちじるしい町、女性が元気でいるかぎり、神戸は美しく復興すると信じる」と記し、被災者を優しく元気づけた。

 11年には、本紙の「声の投書欄」である「イイミミ」の40周年に際し「直(じか)の言葉は生き生きするわね。こういう市井の声を、後の世に残さなあきませんよ」と笑顔で語った。

 「ばらいろ」の日々は晩年まで色あせなかった。(平松正子)

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