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ハンセン病に関する新聞記事を手にする山本都子さん(仮名)。差別・偏見は今も続いていると語る=兵庫県内
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ハンセン病に関する新聞記事を手にする山本都子さん(仮名)。差別・偏見は今も続いていると語る=兵庫県内

 ハンセン病患者や家族への差別は根深い。「知られたくない。隠し通さなければ」。兵庫県内に住む山本都子さん(67)=仮名=がもらした。母の秘密を墓場まで持っていくつもりだったが、「家族が引き裂かれた私たちの気持ちを少しでも伝えたい」とハンセン病家族訴訟の原告になった。

 5人きょうだいの三女。神戸市内で暮らしていた1967年、40代の母と一緒にアパート前に来た黒塗りの車に乗せられ、静岡県のハンセン病療養所・神山復生病院に連れて行かれる。都子さんは中学生だった。母はそのまま入所。都子さん1人が神戸に戻った。

 その後、白衣にマスクの人たちがアパートにやってきて、隅から隅まで消毒。その様子を近所の人がじっと見つめていた。

 父は子どもたちを連れて逃げるように引っ越した。都子さんは「母のことは絶対に友だちにも言えない、言ったらあかん」と胸に刻んだ。大工だった父は勤務先も変えざるを得なかった。体調を崩しても働き続け、1年半後に他界。きょうだい5人が残された。

 都子さんは中学を卒業すると、夜間高校に通いながら昼間は小売店で働き、家計を助けた。

 感染が怖く、母に会いに行くことはほとんどなかった。友だちには「結核で入院している」とうそをついた。「私もいつか発症して隔離されるのでは」。不安が渦巻いていたが、7年後、母が後遺症もなく帰ってきたことで、少しずつ和らいでいった。

 ただ、周囲の視線は冷たく、親戚関係は断絶したまま。冠婚葬祭に呼ばれることはなかった。出産のお祝いに行くと赤ん坊を抱かせてもらえず、偏見の強さを突きつけられた。

 差別を生んだ国の隔離政策に対し、全国の元患者らが裁判を起こすと、母は原告に加わった。2001年、熊本地裁は国の加害責任を認定。国の控訴が注目される。当時の厚生労働大臣、坂口力氏(85)は「控訴断念」を主張、「国の謝罪」へとつなげた。

 都子さんは神戸市内で開かれた集会で、坂口氏の演説を聴き、「母の苦しさがやっと分かってもらえた」と、一緒にいた姉と抱き合い涙を流した。

 東京都内にある坂口氏の事務所には、今もハンセン病に関する資料が並ぶ。医師である坂口氏は言う。「国会議員として、1人の医師として解決を図らなければならなかった」

 国は謝罪し、患者らの名誉回復を表明した。だが、家族の苦しみは取り残されたままだ。「(差別が)何代にもわたって家族を縛り、被害は大きかった」と坂口氏。都子さん同様、今の社会にハンセン病への差別がなくなったとは思っていない。(中部 剛)

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