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ハンセン病差別を語る兄弟と担当弁護士の大槻倫子さん(右)=大阪市中央区
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ハンセン病差別を語る兄弟と担当弁護士の大槻倫子さん(右)=大阪市中央区

 親父(おやじ)は死んだ。本当は生きているのに、うそをつき、ごまかして生きてきた。

 今年2月、大阪市内で開かれた集会で、徳島県に住む柊木(ひいらぎ)博史さん(71)、茂さん(68)=いずれも仮名=が半生を振り返った。

 兄弟そろって、ハンセン病家族訴訟の原告に加わった。父、母、兄弟3人。山村で鶏を飼い、野菜を育てながら暮らした。貧しかったが、食卓はにぎやかで幸せだった。

 父の体に異変があり、1959年5月、高松市の国立療養所大島青松園に収容される。以来、一家の人生が大きく変わった。博史さん小学6年、茂さん小学3年のときだった。

 周囲の態度は一変。友達に避けられ、学校でのけ者にされた。2年後、自宅が台風の被害に遭ったのを機に引っ越した。2人は「心底ほっとした」という。母に諭され、この頃から周囲に「父は死んだ」と話すようになった。

 弟の茂さんは就職しても親の話題を避けた。「病気がばれたら、たちまち仕事を失う」。恐怖感と隣り合わせだった。妻にも隠して結婚した。「隠し続けることが本当につらかった」と語る。妻には一緒に療養所を訪れたとき、打ち明けたが、妻の両親には言い出せなかった。今も妻の実家の墓参りに行くたびに、手を合わせ、うそをついていたことをわびる。

 85年、長男の博史さんが二世帯住宅を建て、父を引き取った。だが、病気は絶対に知られてはいけない。父は近所づきあいをすることはなく、2階で過ごした。住民票は大島青松園のままだった。住所を移して、役所の人に病気がばれてしまう恐れがあるからだ。

 病気になっても我慢し、受診が必要なときは、車と船を乗り継いで療養所に向かった。2005年、父は体調を崩し、大島青松園で他界する。87歳だった。

 父は遺体となって、車で帰ってきた。車に大島青松園の文字はなく、博史さんはほっとすると同時に、感謝した。

 最後まで父の病気を隠し通した。「一番つらかったのは、もちろん親父。でも家族も同じように偏見差別に苦しんできた」。博史さんは自分も死ぬまで背負っていかなければならない、と思っている。

 弁護団の大槻倫子弁護士(兵庫県弁護士会)は、家族の病気が知られ、崩壊してしまったケースをいくつも見てきた。差別被害は今日に続き、若い世代にも連鎖していると実感する。

 昨年12月、熊本地裁でこう意見陳述した。「結婚後に親の病歴が知られ、たちまち離婚に至るケースが後を絶たない。予想をはるかに超えた現実だ」

 対する国は、隔離政策による家族への被害を否定する。家族561人が国に謝罪と賠償を求める訴訟の判決は28日、熊本地裁で言い渡される。(中部 剛)

=おわり=

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