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1982年の王位戦第6局。内藤國雄九段(右)が中原誠王位(左)からタイトルを奪う(肩書は当時)
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1982年の王位戦第6局。内藤國雄九段(右)が中原誠王位(左)からタイトルを奪う(肩書は当時)

 将棋の八大タイトルの一つ「王位戦」は今年で第60期を迎え、人間でいえば「還暦」。現在は豊島将之王位と挑戦者・木村一基九段が全国を転戦し、熱い戦いを繰り広げている。長い歴史のある棋戦について、兵庫県在住の王位経験者・内藤國雄九段と谷川浩司九段に振り返ってもらう。

     ◇     ◇

 王位戦創設から12連覇という大記録を打ち立てた大山康晴を破り、内藤國雄が史上2人目の王位となったのは1972年。その翌73年、中原誠が王位に就く。

 「自然流」中原に「自在流」内藤、そして「さわやか流」米長邦雄。72~82年の11年間、王位の座は気鋭の3人で占められた。中でも七大タイトル通算64期を数える中原は、王位は6連覇を含む通算8期で永世王位の資格を獲得し、内藤の2期、米長1期を大きく引き離している。

 この頃、多才な内藤は歌手としても活躍。75年から4年ほど、対局をこなしながらヒット曲「おゆき」とともに全国を飛び回った。

 歌手活動に区切りをつけた後の82年、第23期。内藤は7年ぶりに7番勝負に登場。久しぶりの大舞台に地元・神戸の期待は高く、内藤は声援を力に変えて中原を4勝2敗で破り、10年ぶりの復位を果たした。

 〈将棋の基本は闘志と持久力だが、私はそれが足りなかった。だから感謝の気持ちがあるときだけ勝った。感謝から湧いた闘志やね。それは長続きするし体力も消耗しない。この時も地元の応援がすごくて、それに応えたいという気持ちが強かった〉

   ■   □

 内藤が師事した藤内金吾門下の棋士たちは「神戸組」と呼ばれ、内藤の王位復位に刺激されたかのように快進撃を見せる。

 83年、淡路仁茂が順位戦で挑戦者決定リーグ(現A級)に昇級した。藤内の孫弟子にあたる谷川浩司は21歳の若さで名人戦7番勝負に登場。加藤一二三を破っての史上最年少名人誕生は社会現象になった。

 その余韻もさめやらぬうちに、内藤の弟弟子の森安秀光が中原を破って棋聖を獲得。内藤は王位のほか、後にタイトルに格上げされる王座を保持しており、83年は一時、神戸組が四冠を占めた。翌84年には、森安が名人戦の挑戦者となり、谷川と神戸組同士で7番勝負を戦っている。

 〈びっくりしたね。四つも、それも神戸ばっかりで。森安が名人戦の挑戦者になって谷川と戦ったときなんかは、もう藤内先生の気分になったからねぇ…〉

   ■   □

 「予選にシードがなく、勢いのある若手が勝ち上がりやすい」とされる王位戦。83年、第24期挑戦者に名乗りを上げたのは当時23歳、まだ五段の高橋道雄だった。

 無口で物静かな青年棋士は、内藤がそれまで戦ってきた相手とは「まったくタイプが違った」といい、リズムが狂った内藤は2勝4敗でタイトルを譲った。

 神戸新聞社と一緒に王位戦を主催する「新聞三社連合」で、長年記者を務めた高林譲司は「盤上の攻防 将棋 王位戦五十年」(神戸新聞社)で、高橋の快挙が与えた衝撃を次のように記す。「その影響は若手棋士の間に伝播(でんぱ)して、二、三年後には高橋と同世代の棋士たちが怒涛(どとう)のようにタイトルを取り始める」「先駆となった高橋は谷川浩司名人と並んで、紛れもなく新世代の旗手となった」=敬称略=

(溝田幸弘)

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