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延命地蔵尊の前で、海軍機墜落事故で亡くした姉晴美さんについて語る下田廣美さん=西宮市今津水波町(撮影・風斗雅博)
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延命地蔵尊の前で、海軍機墜落事故で亡くした姉晴美さんについて語る下田廣美さん=西宮市今津水波町(撮影・風斗雅博)
8歳で亡くなった荒木晴美さん(下田廣美さん提供)
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8歳で亡くなった荒木晴美さん(下田廣美さん提供)
墜落現場となった久寿川駅前錦通商店街。1935(昭和10)年当時の様子(西宮市情報公開課提供)
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墜落現場となった久寿川駅前錦通商店街。1935(昭和10)年当時の様子(西宮市情報公開課提供)
海軍機墜落を「火事」と報じる神戸新聞の記事(昭和19年8月24日付)
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海軍機墜落を「火事」と報じる神戸新聞の記事(昭和19年8月24日付)
神戸新聞NEXT
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 1944(昭和19)年8月22日夕、兵庫県西宮市の阪神電鉄久寿川駅前の商店街に海軍機1機が墜落した。住民ら約20人の命が失われる惨事となったが、軍の機密に関わるため葬儀はひそかに執り行われ、犠牲者の数は定かではない。事故から75年。当時火災から逃げた88歳の男性は口外することがはばかられたと振り返り、姉を失った75歳の女性は娘を悼む母親の姿を思い出す。女性は「姉は人生を全うできなかった。原因は戦争。そう伝えていきたい」と話す。(中川 恵)

 「おふくろが『飛行機が落ちたんよ』と言いながら走ってきた」。現場近くに住んでいた土屋康浩さん(88)=神戸市須磨区=は、自宅の庭に高圧線が落ちてバチバチと火花が散り、隣家まで火の手が迫ったのを覚えている。

 死者数は今もはっきりしない。地元の今津小学校が約50年前にまとめた「今津物語」は、7人が犠牲になった家族を含め13人が亡くなったと記録。西宮高等女学校(現・市立西宮高校)卒業生が編集した「遥かなる母校 西宮高女の太平洋戦争」は、犠牲者数を「20人くらい」と伝える。

 西宮市によると、「翼賛西宮市政会」の記録に「海軍機今津水波町に墜落し、これが事故による罹災者見舞いの件」とあるのが唯一という。当時の神戸新聞は「西宮の火事」との小さな記事で「家屋計十二戸を全焼し死者十七名負傷者三名を出した」と伝えた。

 事故で親友を失った西宮高等女学校の生徒は「軍の機密に関することだそうで」「お葬式に行きたいと思っても、だれも参列できませんでした」と手記につづった。墜落時に居合わせた土屋さんも「現場は軍隊が板で覆って、見たらあかんと言われた。軍の飛行機やし、しゃべったらあかんと思った」と振り返る。

    ◇

 西宮市の下田廣美さん(75)は、外で遊んでいた当時8歳の姉荒木晴美さんを事故で亡くした。一人っ子と思っていた廣美さんは小学校に入る前、母から姉がいたと知らされた。

 母は「晴美が帰ってくるような気がするから」と夜も自宅の鍵をかけずに眠った。廣美さんが「やけどをして顔が分からないかもよ」と言うと、「どんな姿でも晴美だったら怖くない」と答えたという。

 廣美さんもわが子を失う経験をした。21歳で結婚し、男の子2人を産み育てたが、外資系の航空会社に勤めていた長男は約20年前に30歳で急逝。落ち着かず、子を思い出す日々を送る中、「娘を亡くした母も同じ思いだったのでは」と思うようになった。

 「公にできない娘の死を抱えて、母はどれだけ苦しかっただろう」と廣美さん。今春から事故の詳細を調べ始めたが、資料が少なくやるせない気持ちになる。ただ、墜落現場では住民が「延命地蔵尊」をまつり、事故が起きた8月22日に地蔵盆を開いていることも知った。廣美さんは「あのとき何が起きたのか。母の墓前に伝えたい」と話す。

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