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全国戦没者追悼式の会場に入る松尾季歩さん(左から3人目)、季実さん(同2人目)姉妹と森本堅介さん(右から2人目)=15日午前、東京・日本武道館
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全国戦没者追悼式の会場に入る松尾季歩さん(左から3人目)、季実さん(同2人目)姉妹と森本堅介さん(右から2人目)=15日午前、東京・日本武道館
安國又成さん(松尾恭子さん提供)
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安國又成さん(松尾恭子さん提供)
安國平さん(松尾恭子さん提供)
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安國平さん(松尾恭子さん提供)

 終戦から74年を迎えた15日、東京・日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式では、いとしい人を戦禍で失った遺族らが冥福を祈って花を手向けた。戦争を知らない若い世代も消えぬ悲しみに触れ、「私たちが語り継いでいかなければ」と平和への思いを強くした。

 式典には兵庫県からも81人が参加。神戸市須磨区の松尾季歩(きほ)さん(15)=県立農業高校1年、季実(きみ)さん(12)=同市立鷹取中学1年=姉妹は、戦死した曽祖父安國又成(やすくにまたなり)さんと大叔父平(たいら)さんに思いをはせた。

 季歩さんにとって、2人を知るすべは仏間に置かれた遺影のみ。「これ誰?」と幼い頃、曽祖母の節子さんに尋ねると「戦争で死んだひいじいだよ」と教えてくれた。だが「怖さもあって、それ以上は聞けなかった」と振り返る。

 又成さんは1944(昭和19)年、フィリピンへ向かう輸送船「玉津丸」に乗船中に米潜水艦の魚雷攻撃を受け、32歳で亡くなった。遺影は若々しく「曽祖父と聞いてもイメージがつかなかった」と季歩さん。

 隣に並ぶ写真は「ひいじいの弟。優しくて穏やかな人やった」と節子さんが教えてくれた。激戦地のフィリピン・ルソン島で亡くなった平さんと後で知った。

 節子さんは戦後、女手一つで一人娘を育てた。姉妹の祖母正知子(まちこ)さん(74)だ。出産にすら立ち会えずに戦死した夫への思いはずっと消えなかった。「無念やったろうね。戦争は恐ろしい。絶対にしたらあかん」。そう繰り返した節子さんは昨年、97歳で亡くなった。

 「今思えば、もっともっと話を聞きたかった」と季歩さんは悔やむ。

 式典に臨んだ姉妹は「ひいじいたちの思いを私たちが伝えていかなあかん。戦争で亡くなった方々に、平和な日本を守っていきますと伝えたい」と話した。

 この日は、県の遺族代表献花者として洲本市の森本堅介さん(78)も参列した。父親の一雄さんが中国で戦病死した。

 県立農業高校で学び、農業技師として食糧事務所に勤めた一雄さん。跡取り息子、堅介さんの成長を見守る平穏な日々は、召集令状で断たれた。

 「何も言い残すことはない。残した家族には、子の教育を頼みます」

 遺言を託して戦地に赴き、終戦直後の45年10月に33歳で病死した。「若く、これからの人生があったはず。あの忌まわしい戦争を二度と起こすまいと誓い、献花します」と語った。(津田和納、永見将人)

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