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 乗客106人の命が奪われた2005年の尼崎JR脱線事故で、JR西日本は事故車両を保存する施設の整備に向け、遺族らに意見の聞き取りを始めた。大破した車両は現在、倉庫など2カ所に仮置きしたままの状態。車両の恒久的な保存の在り方は、事故を伝える大きな課題として残っているが、遺族の間にはさまざまな考え方があり、結論に至るには時間がかかりそうだ。(田中真治)

 JR西は18年、車両が衝突したマンションの一部を保存し、追悼施設「祈りの杜(もり)」として整備。今年4月25日には、同施設を会場として、事故現場で初めての追悼慰霊式を開いた。

 事故車両は7両全てを保管。来島達夫社長は、慰霊式後、遺族や負傷者に対する本年度の説明会に向けて、車両の最終的な保管の形について話をしていく必要がある、との認識を示していた。

 7月から遺族らを担当者が訪問。趣旨説明の文書では、今後の車両の在り方について「慎重かつ丁寧に検討を深めさせていただきたい」とした上で、適切な保管施設を整備し、社員の安全教育を行っていく考えを表明。「お気持ちやお考えをお聞かせいただければ」と要請している。

 遺族らからは、事故現場での保存展示を望む声がある一方、一般公開に慎重な立場の人や、まだ事故車両の話ができない人もいるという。

 事故車両は、兵庫県警が証拠品として押収後、11年に神戸地検からJR西に返還された。衝突や救出作業による切断で損壊の激しい1~4両目は、16年に高砂市内の倉庫に移され、劣化防止や部品の整理作業などが行われた。5~7両目は大阪市内のJR西の敷地で保管しているという。

 事故現場の整備をめぐっては、JR西が3年ほどかけてアンケートなどで遺族や負傷者らに意見を求めて、15年に方針を決定。この際も、マンションの全部保存や全部撤去など意見が分かれ、決定までに長い時間を要した。

【尼崎JR脱線事故】 2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が制限速度70キロの急カーブに約116キロで進入し脱線。線路脇のマンションに激突し、乗客106人と運転士が死亡、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。業務上過失致死傷罪で在宅起訴されたJR西日本の山崎正夫元社長は、12年に無罪判決が確定。井手正敬(まさたか)元会長ら歴代3社長も同罪で強制起訴されたが、17年に無罪判決が確定した。

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