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築城時の明石城本丸御殿にあり、火災を免れたとされる襖絵の一部=米フリーア美術館提供(Freer Gallery of Art, Smithsonian Institution, Washington, D.C.:Purchase -Charles Lang Freer Endowment,F1962.10、F1962.11)
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築城時の明石城本丸御殿にあり、火災を免れたとされる襖絵の一部=米フリーア美術館提供(Freer Gallery of Art, Smithsonian Institution, Washington, D.C.:Purchase -Charles Lang Freer Endowment,F1962.10、F1962.11)

 築城400年を迎えた明石城(兵庫県明石市)の本丸御殿にあったとされる貴重な襖絵(ふすまえ)を、米国の美術館と同国在住の収集家がコレクションとして今も収蔵していることが神戸新聞の取材で分かった。安土桃山から江戸時代初期に活躍した絵師長谷川等伯の弟子の作とされ、築城12年後の火災で半分が焼失していた。専門家は「400年の時を経て、今も当時の姿を保持している。火災で焼失した本丸御殿の豪華さがしのばれる名品」と話している。

 明石城を築いた初代城主の記録「小笠原忠真一代覚書」などによると、襖絵は24面で春夏秋冬を構成していたとみられる。本丸御殿は大半の部屋に金箔(きんぱく)が張り巡らされていたとされ、襖絵は広間や書院を彩っていたという。

 描いたのは京都の絵師長谷川等仁という人物。国宝「松林図屏風(びょうぶ)」などを手掛けた絵師長谷川等伯(1539~1610年)の弟子とされる。小笠原家の記録には、1618(元和4)年ごろからたびたび明石を訪れたとの記述が残るが、詳細な人物像は不明という。

 1631(寛永8)年1月、城内で火災が発生。本丸御殿は焼失したが、襖絵は半分の12面だけが焼け残り、幕末まで大坂の蔵屋敷で保管されたとされる。

 明治期に6双の屏風に仕立て直され、2度の海外オークションなどを経て、現在は東洋美術で権威ある米ワシントンのフリーア美術館と、サンフランシスコ在住の米国人収集家が3双ずつを所蔵していた。

 同美術館の所蔵品は創設者の遺言で館外に持ち出せないため、同館の3双を日本国内で見ることはできない。残り3双は一時期、日本人収集家が所有し、明石市立文化博物館で2009年に公開された。その後、再び米国の収集家の手に渡っていた。

 世界で美術品の競売を手掛け、12年に襖絵のオークション出品に関わったクリスティーズジャパン(東京)の山口桂社長(56)は「安土桃山時代の雰囲気を色濃く残す落ち着いた作品。400年を経て今も存在していることが高く評価された。城の当時の姿を想像させる意味でもその価値は高い」と話す。(小西隆久)

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