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胡鉄梅の墓に手を合わせる関係者ら=18日午後、神戸市中央区神戸港地方、追谷墓園
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胡鉄梅の墓に手を合わせる関係者ら=18日午後、神戸市中央区神戸港地方、追谷墓園
神戸華僑歴史博物館に展示されている胡鉄梅の山水図=神戸市中央区海岸通3
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神戸華僑歴史博物館に展示されている胡鉄梅の山水図=神戸市中央区海岸通3
胡鉄梅
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胡鉄梅

 清朝時代の中国から亡命し、神戸市内の墓地に眠る画家・胡鉄梅(こてつばい)(1848~99年)をしのび、生前の胡が暮らした神戸や金沢市の関係者らが18日、没後120年に合わせて墓参りをした。清朝末期の高名な画家で、日本でも足跡を残したにもかかわらず、歴史に埋もれ「無縁仏」になりかけたこともあったという。墓参した一行は「これを機に再び光を当て、後世に伝えたい」と話している。(段 貴則)

 「日中歴史海道2000年」(神戸市立博物館編集・発行)などによると、胡は中国・安徽(あんき)省出身の画家で、1886(明治19)年に清朝を批判して日本に亡命。金沢市の常福寺で住職を務めていた友人の書家・北方心泉(きたがたしんせん)を頼り、身を寄せた。

 その後は神戸に移って新聞も発行。日清戦争後に一度は中国へ戻り、上海でも新聞「蘇報」を出して言論活動を続けた。ただ、西太后の独裁に対する改革運動が失敗すると、98年に再び亡命。神戸に居を構えたが、翌年、妻の生駒悦(みつ)が先立ち、続いて胡も亡くなったとされる。

 戦前戦後の混乱を挟み、長らく不明だった胡夫妻の墓が「発見」されたのは、1963(昭和38)年。神戸新聞が、市立追谷墓園(神戸市中央区)で「胡夫妻の墓が見つかった」と報じた。当時、墓園の名義人になっていた日本人男性は戦前から音信不通で、墓を管理する人がなく、無縁仏になりかけていたという。

 この日、墓参りに訪れたのは北方心泉顕彰会のメンバーら7人。「墓発見」から半世紀が経ち、再び墓の存在が忘れられつつある中、没後120年を機に思い立った。メンバーは墓石に水をかけ、花を手向けて手を合わせた。西岡滋会長(88)=金沢市=は「初めて見たが立派な墓。胡鉄梅は心泉の大親友で、金沢では知られた存在であり、神戸の人たちにも知ってもらう機会になれば」と話した。

 墓園使用料は、神戸在住の華僑と日本人の実業家らでつくる「神戸日華実業協会」が長く負担してきた。支払いを始めた経緯などは不明だが、中国の革命家、孫文の活動を助けるなど、日華の懸け橋を担ってきたことから、新聞報道を受けて負担を買って出たとみられる。

 墓参に同行した同協会の吉岡徹事務局長は「胡鉄梅を通じ、財界人や華僑たちが亡命者らを受け入れ、支えてきた神戸の風土や歴史も伝えていければ」と話している。

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