総合 総合 sougou

  • 印刷
伊丹三樹彦さん
拡大
伊丹三樹彦さん
現代俳句をリードしてきた伊丹三樹彦さん。講演では古里への思いを語ることもあった=2016年11月12日、三木市内
拡大
現代俳句をリードしてきた伊丹三樹彦さん。講演では古里への思いを語ることもあった=2016年11月12日、三木市内

 〈詩を書いて一生綿々 蝸牛〉。戦前戦後を通じて活躍し、俳句表現に一大革命を起こした兵庫県伊丹市出身の俳人伊丹三樹彦さんが21日、99歳で逝った。「季を超える句は海を越える」をモットーに、世界を股に掛けて創作した“俳壇の異端児”。「神戸新聞文芸」の選者としても長く親しまれた。金子兜太や赤尾兜子と共に昭和の前衛俳句を率いた巨星が、また一つ消えた。(平松正子、片岡達美)

 1920年に伊丹市に生まれ、間もなく三木市にあった義母の実家に預けられた。「伊丹三樹彦」の俳号は、二つの古里に由来する。さらに神戸の学校へ進み、神戸市役所に勤務したため、神戸が第3の古里に。〈ベレーはみ出る白鬢 神戸でなら死にたい〉の句もある。

 41年、高槻工兵連隊へ入営。死と隣り合わせだったこの時期、〈誰がわざや天衣あかるむ花菜など〉といった仏像の句を詠み継いだ。戦後は師・日野草城主宰の「青玄」創刊に参加し、56年に草城が没すると、36歳の若さで「青玄」主宰に。カメラを手に世界40カ国余りを訪問、各地で詠んだ句を現地の写真とともに発表して話題を呼んだ。

 92年に全句集を出版。2004年に神戸新聞文化賞に選ばれた。05年、脳梗塞で倒れ「青玄」も終刊となるが、1日20句の“リハビリ俳句”を自らに課して心身の健康を回復し、13年には続・全句集を発表した。18年5月、句友らが催した白寿の祝賀会でも〈地に残す爪跡 おのが 十七文字〉と、気迫に満ちた句を披露していた。

 伊丹さんに学んだ俳人の坪内稔典さんは「伊丹さんはいかにも『神戸の俳人』。自由で現代風な俳句を最後まで一貫して求め続けた人だった」と惜しんだ。

     ◆

 伊丹さんの本名は岩田秀雄さん。21日午前6時55分、肺炎のため伊丹市の病院で死去した。自宅は尼崎市。通夜は22日午後6時から、葬儀・告別式は23日午前11時から、いずれも伊丹市宮ノ前1の2の30、クレリエクシードホールで。喪主は長女啓子(けいこ)さん。

総合の最新
もっと見る

天気(10月20日)

  • 25℃
  • ---℃
  • 0%

  • 21℃
  • ---℃
  • 10%

  • 25℃
  • ---℃
  • 0%

  • 25℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ