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神戸製鋼時代、東芝との試合でタックルを受けながら進む伊藤さん(中央)=2006年12月、神戸ウイングスタジアム(当時)
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神戸製鋼時代、東芝との試合でタックルを受けながら進む伊藤さん(中央)=2006年12月、神戸ウイングスタジアム(当時)
元ラグビー日本代表の伊藤剛臣さん=東京都内
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元ラグビー日本代表の伊藤剛臣さん=東京都内

 ラグビー人生の原点となった釜石と、自分を育ててくれた神戸。元日本代表の伊藤剛臣さん(48)が46歳までの現役生活を過ごした二つの街が、ワールドカップ(W杯)の会場となった。日本一を7度経験したチームを支え、ともに大震災から立ち上がった街での開催を感慨深く見つめる。

 伊藤さんがラグビーを知ったのは中学生の時。「北の鉄人」新日鉄釜石が日本選手権7連覇を決めるニュース映像を鮮明に覚えている。

 高校で競技を始め、チームプレーの魅力にはまった。法政大3年時には大学日本一に。卒業後は地元東京で選手生活を続けるつもりだったが、故平尾誠二さんに口説かれ、日本選手権6連覇中の神戸製鋼に入社した。

 1995年1月15日、神戸製鋼は新日鉄釜石に並ぶV7を達成。その2日後、東京の実家で喜びに浸っていた伊藤さんの目に、信じられない映像が飛び込んできた。倒れた高速道路、崩壊した町の至る所で起きる炎…。阪神・淡路大震災が起きた。

 2週間後、神戸に戻るも「戦地」のようだった。練習場も液状化し使用不能に。ラグビーは諦めるしかないと覚悟したが、会社は部の存続を決めた。

 「神戸が大変な時に、ラグビーができる。皆を勇気づけよう」と奮い立った。V8はならなかったが、2000年に日本一に返り咲いた。伊藤さんは「勝てない時も、ずっと皆が応援してくれた。V7よりうれしかった優勝です」。

 釜石でラグビーを始めたきっかけは、12年の神戸製鋼からの戦力外通告。引退が頭をよぎっていた時に、新日鉄釜石を母体とする釜石シーウェイブスの選手からチーム入りを誘われた。

 東日本大震災で甚大な被害に遭った釜石をラグビーで盛り上げたい-。伊藤さんはチームの思いに共感。トライアウトを経て入団し、18年まで現役生活を送った。

 W杯の会場となった釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムは、伊藤さんが釜石に来た直後、神戸製鋼の選手とがれき撤去のボランティアをした場所だ。半壊の校舎とがれきの山があった所で今、世界中の人がラグビーを楽しんでいるのは「信じられない光景」と話す。

 「同じ赤いジャージーのチームで、震災も経験した。街にも、自分にも、W杯開催は本当に特別なこと」と伊藤さんが目を細めた。

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