総合 総合 sougou

  • 印刷
鳴尾競馬場跡記念碑と、建立した鳴尾文化協会の元メンバー=西宮市枝川町
拡大
鳴尾競馬場跡記念碑と、建立した鳴尾文化協会の元メンバー=西宮市枝川町
神戸新聞NEXT
拡大
神戸新聞NEXT

 阪神競馬場(兵庫県宝塚市駒の町)の前身に当たり、戦前に今の西宮市の沿岸部にあった「鳴尾競馬場」を顕彰する記念碑が、跡地の浜甲団地公園(西宮市枝川町)に建てられた。野球場などを併設し、大正期には全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)も開かれた大規模スポーツ施設だった。記念碑は、70年近く地元で活動してきた「鳴尾文化協会」が、解散前の最後の事業として企画。メンバーは「石碑とともに協会の名も後世に残れば」と語る。(伊丹昭史)

 鳴尾競馬場は1907(明治40)年、当時の鳴尾村(現西宮市)に「関西競馬場」として開設された。次第に盛況となり、35(昭和10)年に拡張・新装された。全長1845メートルのトラックのほか鉄筋コンクリート造6階の建物を備え、収容人員約1万8300人に。この時できたメインスタンドの一部は、現在も武庫川女子大付属中学・高校(同市枝川町)に残っている。

 競馬場は売り上げ全国1位も記録したが、戦線の拡大に伴い43(昭和18)年、軍に接収され飛行場となった。

 一方、鳴尾文化協会は50(同25)年に設立。地元の名士らが集い、旧鳴尾村役場跡の記念碑建立や方言集の発刊など郷土文化の探究、顕彰に長年取り組んできた。近年は高齢化が進み、会員数も70人ほどに減少。「一定の成果を達成した」として今年3月末で解散した。解散前に計画していた鳴尾競馬場の碑を、主に協会の残余金で建てることにしたという。

 碑は碑名を刻んだ石柱(高さ1・5メートル)と、同競馬場の歩みを記した石碑(幅約1・2メートル、高さ約1メートル)の1組。浜甲団地公園内の、ちょうど競馬場の敷地の中心だった場所に今春建てられ、市に寄贈された。

 同協会役員だった西田靖男さん(75)は「競馬場に続く道を地元では『競馬場道(みち)』と呼ぶなど愛着のある施設だった。協会は解散したが、地域史を後世に伝える役割を若い人らが引き継いでくれたら」と話す。

【鳴尾競馬場】1907年開設の関西競馬場に、鳴尾川を挟み東側にあった鳴尾速歩(はやあし)競馬場(08年開設)を10年に統合させ、鳴尾競馬場となった。敷地は約41・7万平方メートルと広大で、日本初の民間飛行大会なども開催された。トラック内に野球場2面、1周800メートルの陸上競技場、テニスコート、プールも併設。17~23年には全国中等学校優勝野球大会の3~9回大会が開かれた。37年に阪神競馬場に改称された。終戦後の49年、後を継いだ現在の阪神競馬場が完成した。

総合の最新
もっと見る

天気(11月12日)

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

  • 19℃
  • ---℃
  • 10%

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ