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車田誠治さん=たつの市、龍野教会
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車田誠治さん=たつの市、龍野教会
支援団体の炊き出しには、いつも長い列ができる=2019年7月、姫路市内
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支援団体の炊き出しには、いつも長い列ができる=2019年7月、姫路市内
神戸新聞NEXT
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 貧しい人々の窮状に改善の兆しが見えない。路上で暮らすホームレスの数こそ減ったものの、住居があっても日々の食事に事欠く生活困窮者は多く、所得が平均の半分を下回る家庭の割合を示す「相対的貧困率」は深刻な状況を脱せない。医療や教育の必要最低水準が満たされない子どもの貧困も厳しい状況が続く。課題解決に向け、何が足りないのだろう。現場の声に触れようと、兵庫で貧困者を支える活動に取り組むボランティア団体「路上生活者ふれあいサークル レインボー」を訪ねた。スタッフの日本キリスト教団龍野教会(たつの市)牧師の車田誠治さん(42)の話を届けたい。(宮本万里子)

 支援活動に関わるようになったのは、いつごろからですか。

 「神学校時代です。僕は神戸の高校を卒業後、東京の全寮制の神学校で5年学びました。時々帰省して、阪神・淡路大震災の後に野宿者の支援を始めた『神戸の冬を支える会』の活動に加わって、炊き出しや安否確認などをする夜回り、生活相談などを手伝うようになりました。僕も高校時代に神戸で被災し、炊き出しの列に並ぶことから再出発した。思いが重なりました」

 「同じ頃、神学校の先輩と一緒に、同性愛者団体の利用を拒否した『府中青年の家』損害賠償訴訟の裁判を傍聴するなど、差別や社会的少数者(マイノリティー)の問題と関わるようになった。キリスト教の教えだけではなく震災をはじめとするいろいろな経験から、『人間は平等で公平であるべきだ』という価値観が新たに育まれたと思っています」

 多くの生活困窮者に出会ってきたと思います。どんな現実が見えてきましたか。

 「仕事に就くことができれば貧困にはならないと思っている人も多いでしょうが、そんな単純な話ではありません。炊き出しの場にやって来る人の中には精神疾患や発達障害の人が結構います。せっかく支援して住む所や職場を確保しても、酒の飲み方が悪くて近所の人とトラブルになって追い出される人や、手先は器用で理解力もあるのにメンタル面に波があって出勤できなくなり、仕事を辞めてしまう人がいます。心身の障害や問題を抱える人を対象にした救護施設につないでも『窮屈だ』と出てしまう人、『住む所はいらん。外で暮らしたい』と訴える人も。生活保護費を受け取った直後に『金がない。貸してくれ』と相談に来た人がいて、理由を聞くと『突然、金が蒸発したんや』と言われたことがありました。どんなに支えても、これで大丈夫だと思えない。終わりのない支援だと感じています」

 支援活動を通じて、何が課題だと思いますか。

 「僕たちは必要な支援を受けられるよう、相談者と一緒に自治体の窓口や不動産屋へ行き、暮らしを整えていく。でも、公的支援の仕組みは複雑で難しい。情報収集、制度の理解、手続き…。どれを取っても、とても当事者に寄り添っているとは思えません。路上や電話もない家で暮らし、学校に通っていなかったり、文字を読めなかったりする人もいるんですよ。理解し、支援を得るのにあまりにもハードルが高すぎます。その上、ゼロか百かのような支援ばかりで融通が利かない。例えば就労先でも健常者か障害者かという枠だけでなく、病気ではないが精神面で不安定な人が働けるよう、健常者と障害者の中間のような位置付けで支えられる体制をつくる。そんな柔軟な考え方が欠かせないと思います」

 先ほど、阪神・淡路大震災の話が出ました。高校時代に震災を経験されたのですね。

 「僕は神戸市東灘区の御影で生まれ育ち、両親、3歳上の兄、祖父母、大叔母と一緒に暮らす大家族でした。母と祖母はプロテスタントのクリスチャンで、僕も幼い頃から日曜日は教会へ。でも、洗礼を受けたことはなく、小学生で始めたバスケットを楽しく続けたいと御影工業高校を選んだ。震災が起きた1995年1月は高校2年で、バスケ部でレギュラーになれず、限界かなと思って退部した直後でした。ずっと打ち込んできたものがなくなり、気持ちにぽっかりと穴があいていました」

 「あの日、2階建ての1階の自室で寝ていたら大きな揺れで目が覚め、本棚が体に倒れてきた。ああこのまま2階が落ちてきて死ぬのかと思った。幸い僕の家は半壊で家族全員無事でしたが、親類の高齢の女性が犠牲になりました。近所の家はほとんどが全壊で、多くの人が生き埋めになった。警察も消防も助けに来てくれないので、住民同士で救出し合ったのを覚えています」

 震災を機に牧師を目指すようになったのですか。

 「あの時、誰も助けてくれない、まじめに生きていればいいことがあるなんてうそだ、と思った。それまでの価値観が崩壊して『なぜこんな目に遭わせたのか』と神様にも腹が立ちました。一方で、こうも感じたのです。『自分は生かされた』と。だったらもう一度、一から価値観を構築しよう。そんな気持ちで牧師になろうと決心しました。そして神学校で学び、龍野教会に職を得て兵庫県に帰ってきました」

 生活困窮者の支援の話に戻ります。長く活動を続ける中で、何が大切だと感じていますか。

 「世界の各地にホームレスがいます。極寒や炎熱の国にも。生活困窮者はなくならないでしょう。日本では今後、さらに増えるのではないでしょうか。福島の原発事故の除染作業や東京五輪に向けた建設の仕事が、ぴたっとなくなる日がきます。外国人労働者の受け入れを拡大する一方で社会的な支援は追い付かず、路頭に迷う人が大量に生じる可能性が懸念されます」

 「支援活動を通じて感じるのは選択肢の少なさです。路上の暮らしからはい上がろうとするとき、まず保護施設に入るか入らないかを選ぶところから始まる。そうではなく、敷金や礼金を工面できない中で住まいを得られる道はないのでしょうか。また離婚後に相手から養育費が支払われず、貧困に陥るシングルマザーも多いのですが、公的機関が代わりに養育費を援助し、払わない男性に請求するような仕組みにできないのでしょうか。誰もが支援を必要とする可能性があるという前提で、その人その人の希望や個性に合わせられる選択肢を制度に組み込んでほしい。声を上げ続けたいと思います」

【ひとこと】よく笑い、話す気さくな人柄から重い課題と向き合っているように見えないが、生活困窮者らからの信頼はとてつもなく厚い。混迷する社会に差す確かで頼もしい光として、その活動に注目し続けたい。

【くるまだ・せいじ】1977年神戸市東灘区生まれ。御影工業高(現科学技術高)、農村伝道神学校卒。牧師。「路上生活者ふれあいサークル レインボー」のほか、加古川でも生活困窮者らの支援を続ける。

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