廃止された鉄道路線の“遺構” 大震災の復旧に貢献
2020/01/17 15:00
阪急電鉄神戸線の王子公園駅東側に残る“遺構”
阪神・淡路大震災で神戸・阪神間の鉄道は甚大な被害を受けましたが、その復旧に廃止された路線の“遺構”が貢献したエピソードを紹介します。
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阪急電鉄神戸線の王子公園駅(神戸市灘区)の東側。線路が川をまたいでいますが、その東岸に複線分の橋台が残っています(画像)。現在は保線基地として使われているのでしょうか、本線から分岐した2本の線路が敷かれていますが、これが1920(大正9)年に開通した阪急神戸線の“遺構”です。
当時の神戸側の終点は三宮ではなく、王子公園の西側に位置する上筒井でした。上筒井で神戸市電に接続していました。36(昭和11)年に高架での三宮乗り入れが実現し、上筒井までの路線は支線としてひっそりと残りましたが、40(昭和15)年に廃止となりました。
この“遺構”が注目を集めたのが、震災で寸断された阪急神戸線の西宮北口駅以西を部分開通させるための復旧作業でした。当時の神戸新聞の記事によると、95年1月28日朝、車両4両を搭載したトレーラーが大阪府摂津市の正雀車庫から4時間半がかりで到着。道路上から大型クレーンで車両をつるし、“遺構”の線路に据え付けていったのです。1日4両ずつのペースで計24両を搬入。2月13日始発から王子公園~御影間で運転を再開しました。
阪急は御影~JR住吉~阪神御影間に連絡バスを運行。各鉄道の“リレー”によって三宮~大阪(梅田)間をより短い時間で結ぶことができたのです。
現在はマルーンカラーの阪急車両が走ることのない線路と橋台が、四半世紀前の苦闘を伝えています。(長沼隆之)