神戸空襲の犠牲者慰霊碑、148人追加 新型コロナで初の一般参列中止

2020/06/07 19:32

慰霊碑に銘板を取り付けた遺族代表の安本篤司さん(後方)ら=神戸市中央区楠町7、大倉山公園

 太平洋戦争末期の神戸空襲で犠牲となった人たちの名前が刻まれた大倉山公園(神戸市中央区)の慰霊碑に7日、148人分が加えられ、2年ぶり5回目の刻銘追加式が開かれた。式には毎回100人以上が参加してきたが、新型コロナウイルスの影響を受け、初めて一般の参列を中止。関係者と遺族の一部約30人が、空襲と終戦から75年を経て刻まれた名を見届け、追悼と平和の祈りをささげた。 関連ニュース 原爆の傷、カルテには「good」 米国の記録に神戸の女性憤り 1945年広島、15歳の夏 父の遺体抱きしめ 本音言えば「半殺しに遭う」 特攻隊志願、事実上の強制

 1971年設立の市民団体「神戸空襲を記録する会」が78年に犠牲者名簿を作り始め、2013年に慰霊碑が完成した。神戸空襲は45年の3月17日、6月5日など繰り返し無数の焼夷弾が神戸の街に落とされ、死者8千人超とされるが、正確な数は分かっていない。
 名前が追加されたのは、遺族らから届けのあった55人▽空襲で犠牲となった海員8人▽神戸港に投下された機雷で沈没した商船や民間船の乗員85人-で、刻銘は計2191人となった。
 同市垂水区の会社員安本篤司さん(45)は遺族代表として娘の茅央ちゃん(4)らと式に参列。母方の祖父と叔父2人、叔母1人の計4人の名を届けた。叔父、叔母ときょうだいだった安本さんの母は当時疎開して無事で、5年前に亡くなるまで、4人の最期についてよく話していたという。
 祖父は玄関で「逃げろ!」と家族に叫んだ直後、焼夷弾を受けて絶命。祖母が1~7歳だった叔父、叔母を連れて炎の中を逃げたが、幼い3人は祖母の背中や腕の中で息絶えたという。
 安本さんは「祖母は生前戦争について話さなかったが、腕や足のやけどの痕から無念さを感じた。4人の生きた証しが刻まれ、祖母も母も安心したと思う」と語った。
 7日は明石市の寺でも、45年1~7月に約1500人が亡くなったとされる明石空襲の慰霊祭が営まれた。(末永陽子)

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