36人が死亡した京都アニメーション放火殺人事件は18日で発生から1年になる。メカや楽器を描くのが得意だったアニメーターの次男を亡くした男性(77)=神戸市=は、匿名を条件に神戸新聞の取材に初めて応じた。事件直後から1日1羽、折り鶴を作り続ける。この1年、色紙に向き合い、顔を見ることもできず見送った息子を思ってきた。
2019年7月18日。神戸市内の自宅で昼ごろ、男性は妻(78)とテレビを見ていた。京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)の火災のニュースが流れた。「まあ、大丈夫やろ」。次男の携帯電話にかけると呼び出し音が響いた。少し安心した。
だが午後2時ごろ、会社から電話があり、行方不明だと伝えられる。DNA鑑定の結果、6日後、身元が確認された。
葬儀では、ひつぎに納められた次男の顔を見ることができなかった。薄い布の上から顔に触れたが、鼻や口が分かる程度で「ただ冷たい」としか感じなかった。頭の下に手を入れた妻は「氷みたい」と感じた。
「亡くなって、息子のことを何も知らない自分にがくぜんとしました」と男性は言う。多くのアニメーション作品を生み出し、国内外のファンに支えられる京アニ。事件後、携わった作品の資料を見たり、次男の妻や同僚に仕事ぶりを聞いたりして、想像以上の努力を重ねていたことを知った。ただそれを、息子の口から聞いておけば良かったという思いが消えない。
鶴を折り始めたのは事件直後からだ。新聞やテレビで献花台に折り鶴が供えられている様子を見た。多くのファンが心を寄せてくれていると思うと、自分も折ってみたくなった。
「不器用だけど、鶴を折っていると、息子のことを思ってやれてると感じるんです」。初めは5、6羽を折った日もあったが、1日1羽と決め、翼に日付を書き込むことにした。
「犯人が憎いとか、もうそんなことは思いません。ただ私たちは死ぬまで、先に逝った子どものことを思うんです」
鶴を折るようになって1年になろうとしている。ただ時間を重ねても、居間に飾っている遺影に話し掛けると涙がこぼれる。今も「もしもし」と、気だるい声で電話がかかってくる気がする。(紺野大樹、小谷千穂)
■「どういう判決が出ようと 息子は帰ってこない」人気作品監督・武本康弘さんの父
京都アニメーション放火殺人事件で亡くなった赤穂市出身のアニメ監督、武本康弘さん=当時(47)=の父保夫さん(77)は、発生1年を前に赤穂市の自宅で取材に応じた。保夫さんは「何を言っても今更…。息子は帰ってこない」と言葉を絞り出した。
2階には自分でしつらえた仏壇に、満面の笑みを浮かべる康弘さんの遺影を飾っている。背後の板には「人にやさしく心豊かに おしまれて死す」と刻んだ。人気アニメ「らき☆すた」などを手掛け、会社を代表する監督として皆に慕われた長男への思いを表した。
これまでの取材では「熱かったろう。苦しかったろう」と康弘さんを思いやり、「なぜこんなことをやったか動機が知りたい」と語っていた保夫さん。「いずれは裁判の行方を見つめることになるが、どういう判決が出ようと息子は帰ってこない」「亡くなった36人の親は同じ。息子や娘が帰ってこないという現実は変わらない」。自らに言い聞かせるように話した。
「お父さん、まだ帰ってこないの?」と不思議がっていた孫娘も小学3年生になり、父の死を理解したようだという。保夫さんは「父親のことを思い出しながら、我慢している様子がふびんで」と声を詰まらせた。(坂本 勝)
