神戸・北区高2刺殺事件10年 将太よ(1)はよ帰ってこいよ
2020/10/05 11:02
堤将太君のスナップ写真(撮影・辰巳直之)
■午後10時48分 最後の会話、断ち切られた日常
関連ニュース
神戸と気仙沼、初の合同作品展 芸術家20人、つながり発信 スケッチやアクリル画など100点
<テネシー・ワルツ ジャズシンガー石井順子の物語>第一部 戦中・戦後編(2)神戸大空襲 「ご先祖さんが守ってくれた」
マイクロソフト、生成AIをもっと身近に 瞬時に資料作成など業務効率化 中小企業向け新サービス
10月4日の夜。神戸市北区筑紫が丘の住宅街を歩いた。
肌寒い夜風が秋の深まりを告げている。大きな家が並ぶ閑静な住宅街。その一角にシャッターを下ろした建物がある。元たばこ店らしい。並んだ3台の自動販売機が、ぽつんと闇を照らしている。
周囲を眺める。三宮の中心部からこの住宅街に住民を運ぶバスもほぼ途絶え、人通りは少ない。時々、車が行き交う。
午後10時48分。10年前のこの瞬間、この場所で悲しい事件が起きた。
容疑者は今も分からない。
■
2010年のその日、当時、私立神戸弘陵学園高校2年生だった堤将太君=当時(16)=が何者かに襲われ、殺害された。
父の敏(さとし)さん(61)は「季節外れの暑い日だった」と振り返る。
定年を迎えるまで電気工事業を営んだ。その日は現場作業にめどがたち、昼ごろ自宅に戻った。
介護施設での仕事が休みだった妻の正子さん(63)と昼食をとり、近くのホームセンターへ買い物に出た。ふと、6日後の10日が将太君の17歳の誕生日だったことを思い出す。
「時間もあるし、プレゼントでも見に行くか」
お目当てはミニバイク。父親譲りか、機械に興味を持っていた将太君は高校に入学して間もなく、原付きバイクの免許を取った。お気に入りのバイクをプレゼントして、息子を驚かせるつもりだった。
どの車種にするかめどを付けて帰宅した。しばらくすると、将太君も帰ってきた。いつもの仲間が集まる公園にいたらしい。家族で夕食のテーブルを囲んだ。
食後、将太君は定位置のテレビ前ソファで、携帯電話をいじりながらドラマを見ていた。片手でメールを打ちながら、器用にテレビも見る。いつもの光景だった。
ドラマが終わる午後10時ごろ、むくりと起き上がり「ちょっと友達に会ってくるわ」と言った。
夜遅いのが気になったが、息子が行きそうな場所は分かっていた。どうせ近くの公園だろう。友人とこの場所で話し込む姿をよく見ていた。
「はよ帰ってこいよ」
顔も見ずに言った。それが最後の会話になるとは夢にも思わなかった。
■
堤家にはまだ日常が流れている。
父は入浴後、夏用の半袖半ズボンの寝間着に着替えた。そろそろ寝ようかと思い始めた午後11時前、将太君の幼なじみの少年が自宅に駆け込んできた。
家には何度も来たことがある。その少年の顔が、見たこともないほどこわばっていた。全速力で駆けてきたのか、息が荒い。
「おっちゃん、将太が刺された!」
瞬間、足が震えた。
質問を投げかけるより先に足が動く。寝間着姿のまま1人で車に飛び乗った。
現場は自宅からわずか約500メートル。毎日通る道が、ずいぶん遠く、暗く感じられた。
「かすり傷かもしれんし…」。ハンドルを握りながら、できるだけ楽観的な想像をした。
車が角を曲がる。人だかりが見えた。すでに数台のパトカーが来て、赤色灯が住宅街を不気味に照らしていた。
近くに車を止め、騒ぎの中に分け入る。地面に将太君が倒れている。
「将太、しっかりせい」
大声で呼びかけた。返事はない。心臓が激しく鼓動を打つ。
「どうなっているの!」
妻が叫ぶ声が聞こえた。走って追いかけてきたようだった。
つい数分前までの平凡な時間がうそのようだった。救急隊員が心臓マッサージを始めた。容体は深刻らしい。だが将太はきっと目を覚ます。そう信じた。
■
神戸市北区の住宅街で高校2年生の堤将太君が殺害された事件は4日で10年。まだ解決していない。
両親は「私たちはまだ事件のただ中で生きている」と話す。ただ、犯罪被害者遺族として苦しみ、迷った日々は、家族のつながりを深め、成長させてもいた。
容疑者を追い続ける遺族の10年を追う。
(西竹唯太朗)
【神戸・北区高2刺殺事件】2010年10月4日夜、神戸市北区筑紫が丘4の路上で、知人の中学3年の女子生徒といた堤将太君=当時(16)=が、近づいてきた男に刃物で頭や首などを刺され殺害された。男は20代後半~30歳くらい、160~170センチ、小太りで濃い眉毛、細い目などとされる。兵庫県警は10年間で延べ約3万1千人の捜査員を投入し、現在も26人態勢で男の行方を追っている。