戦後間もない1945(昭和20)年12月9日、明石海峡で播淡連絡船「せきれい丸」(34トン)が沈没し、304人が犠牲となった事故を題材にした絵本「せきれい丸」(くもん出版刊)が刊行された。発生から75年。悲劇の風化を憂う生存者の声に応え、「じごくのそうべえ」などで知られる絵本作家田島征彦さん(80)=兵庫県淡路市=が手掛けた。友を失った少年の再生物語を創作し、生きることや命の大切さを訴えかける。(堀井正純)
その日、海峡には強風が吹いていた。せきれい丸は淡路島から明石へ向け出発。明石の闇市への買い出し客、島外へ食料を運ぶ人ら、定員約100人の3倍を超える349人が乗り込み、甲板も人であふれた。船長は欠航を検討したが、大勢の乗客らの声に出港せざるを得なくなったという。船は沖合で強風と横波にあおられて転覆。救助されたのは45人だけという大惨事となった。
当時16歳で、兵庫師範学校(現神戸大発達科学部)の1年生だった大星貴資さん(91)=淡路市=は木片にしがみついて海を漂い、漁船に救助された。地元で中学教諭となり、退職後は事故現場を見渡す島内の高台に慰霊碑を建立するため尽力。しかし、近年は事故を知る人が少なくなっているのを気に掛けていた。9年ほど前、田島さんの妻・英子さん(74)が大星さん主宰の句会に入った縁で、絵本づくりを依頼。題材の難しさから田島さんは思いあぐねていたが、大星さんが大病を患い、妻からも懇願されて昨年秋、制作に着手した。
主人公は戦争で父を亡くした少年ひろし。せきれい丸の事故に遭い、一緒に乗船した親友りゅうたが犠牲に。自身は、漁師である、りゅうたの父に救助されたが、友の代わりに生き残ったことに苦しむ…。
「主人公が親友の夢見た漁師になることを決意し、立ち直る話にすることで、何とか絵本化のめどがたった」と田島さん。資料を集め、地元の老漁師にも取材。同県洲本市の児童文学作家木戸内福美さん(80)の協力も得て、1冊にまとめた。
当時は敗戦直後の混乱期。乗客が殺到した背景には食糧難や物資不足があり、「事故は戦争の傷跡の一つ」と大星さん。「慰霊碑や絵本など形にして残さないと忘れられてしまう。素晴らしい本にしてもらい、ありがたい」と話している。
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出版記念の絵本原画展が12月1~13日、神戸・元町のギャラリーヴィーである。7日休み。同画廊TEL078・332・5808
