「パンイチ」姿で安否確認…イチローさんが神戸での被災語る

2020/11/26 18:55

新聞大会で「スポーツが持つチカラ」と題して講演するイチローさん=26日午後、神戸市中央区港島中町6、神戸ポートピアホテル(撮影・辰巳直之)

 神戸市中央区で26日開かれた第73回新聞大会(日本新聞協会主催)で、「スポーツが持つチカラ」をテーマに、トーク形式で講演した元メジャーリーガー、イチローさんの話題は阪神・淡路大震災にも及んだ。内容は次の通り。 関連ニュース イチロー引退「あの時点で覚悟決まっていたのか」 オリ同期の田口壮コーチ イチローさん「めちゃくちゃ楽しかった」投げて完封16K、打って猛打賞 神戸で“草野球デビュー” 「47歳ですけど球が速くなった」元大リーガー・イチローさん講演

■パンイチで安否確認
 「僕は神戸市西区の寮にいました。比較的被害は少ないエリアだったけど、それでも、まずドカーンっていったんですよ。早朝ですから訳が分からなくて、何かが寮に突っ込んだと思った。まもなく部屋が揺れ出した」
 「飛び起きたんですけど、立っていられなくて。布団かぶって丸まっているしかない。初めて死ぬかもなと思った瞬間でした。その後、テレビで阪神高速の橋桁がへし折られて、衝撃的な映像が出てきたんですけど。ビルが倒れたり。それはそうなるかもね、と思いました」
 「その後はパンイチでみんな集まって。なんか、集まりたかったんですよ、怖くて。食堂にみんな集まって。1人を除いて。1人連絡を取れなかった人がいたんですよ」
 -え?どなただったんですか?
 「現オリックスの監督さん」
 -中嶋(聡)さん!
 「家で寝てたって言うんですよ。そういうところがあるんですよ、中嶋さん。連絡がとれなかったのは中嶋さんだけだったんですよ。僕の記憶では」
■神戸に対する思い
 「で、その年リーグ優勝するんですけど、できすぎじゃないですか。オリックス、優勝したことないんですよ。優勝したことないチームが優勝と言ってはいけないと僕は思うんですよ。あの年、中盤から盛り上がったんですよね。途中から『これいけるかも』とギアが上がった時期があったんですけど、そこからは神戸に対する思いは皆強かったですよね。前半戦はとてもイメージができないですから。経験ないので」
 「個人的にはレギュラー2年目の大事な年だったので、チームのためにやらなきゃいけないんだろうけど、自分の結果を残すためにやってました。MVPももらっちゃったりして。終わってみると評価される」
 「後に2001年アメリカで西地区優勝してMVPいただいたんですけど、チームのこと何にも考えてないんですよね。でも、結果的にMVPって、何か皮肉なもんだな」
■プロ野球選手の喜び
 -(震災翌年の1996年に)オリックスが日本一になった時、イチローさんが半回転してライトスタンドの方を向き、ガッツポーズしたのも印象的でした
 「リーグ優勝は神戸で決めて。2塁打を打って大喜びしてるんですよ。あんなに喜んだのあれくらいです。プロ野球なんで、見てくれる人がいてなんぼなんですよ。応援といえばライトスタンドじゃないですか、日本はね。そこの人に喜びを表現したかったというのはよく覚えていますね」
 「だからもし、今年現役でやっていたらプレーできないです。ファンがいないから。無観客ではプレーできない。単なる練習試合になってしまう。数は何人かいるだけでもいい」
 「96年以降グリーンスタジアム神戸の外野席は何人か数えられたんですよ。チームも勝てなくなって。95、96年は奇跡ですよね、あんなに人が集まった。震災とイチローが思いがけず一緒になった瞬間ではあったんですけど、僕の感触では2001年以降、神戸との距離がより縮まったと思いますね」
 -それはなぜですか?
 「アメリカに行ってオフに日本に帰ってくると、必ず神戸で自主トレをしていたんですね。アメリカに行ったけど神戸にいるって感じがきっと生まれたのが、イチローと神戸ってそこでぎゅっとつながった気がします」
【動画】講演するイチローさん

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