井戸知事「復旧、復興が大きな使命だった」 会見一問一答(2)

2020/12/11 18:15

自らの退任表明を受け、改めて会見を行った井戸敏三・兵庫県知事=11日午後、兵庫県庁(撮影・山崎 竜)

 -任期はまだ7カ月と少しあるが、5期にわたる任期の実績を振り返ると。 関連ニュース 五輪文献 宝の山が芦屋に 和洋の1000冊超 戦前の記録、報告書も スポーツ愛した淡路の旅館主収集 体罰に代わり暴言、無視、差別…スポーツ指導の暴力が陰湿化 証拠残らず、被害分かりにくく 戦没オリンピアン、全国に38人 平和の祭典から戦場へ 兵庫関係は3人確認

 「やっぱり、(阪神・淡路大震災の)復興計画だ。(前知事の)貝原さんから託された計画をどう実現するか。大変な重荷であり、一つの大きな課題だったし、100点はいただけなくても、合格点はいただけるような実績が生まれたと思っている」
 「声明でも言ったように、2006年に『のじぎく兵庫国体』が開かれた。『心から・ひょうごから』という標語とともに、県民と一緒に展開した国体だった。いまだに言われるが、開会式のときのフィナーレの状況、1000人以上のダンサーと、宝塚の宙組が参加した最後の盛り上がりは、当時の日本体育協会会長だった森喜朗元総理も、私の顔を見るたびに言うくらいだ」
 「それと、やっぱり災害。震災から25年がたったが、大きな災害にいくつか見舞われた。復旧、復興が、私の一つの大きな使命になった。2004年の台風23号では、被害を受けそうだという一報をフランス出張の際に受けて、日程を1日繰り上げて関空に戻って、防災ヘリで豊岡に飛んだ。豊岡から洲本にぐるっと回ってから、対策本部を開いたことも印象深い。知事が現地を見たおかげで、指示がある程度、的確にできた。災害に強い県土づくりのきっかけだったと思う」
 「行財政改革でも、職員、県民に協力いただいた。厳しい行革項目だったが、実施しながら、新しい課題にも積極的に対応することができたと思っている」
 「もう一つ、さらに言えば基幹道路の整備だ。震災復旧、復興の中で棚上げになっていたが、基幹道路の整備を手掛けられるような財政再建のめどが立ったこともあり、再スタートできたというのも大きなことではなかったかなと思っている」
 「それと、県立病院がちょうど建て替え時期だった。財政が厳しいと延ばしがち。私は、健康を守るとりではあえて、こういう時期でも計画的に、順番に整備していくことが必要だと考えて推進した」
 -家族にはいつ退任の意向を伝えたのか。
 「家族は妻しかいませんから。もう娘は嫁いでいて、孫もいるので」
 -どんな言葉を。
 「『表明するよ』と言っただけです。元々嫌がっていたのでやっと解放されると思ったのでは」
 -県議会の自民党が次期知事選で支援する候補者を金沢和夫副知事で検討している。自身も現時点で後継と考えているか。
 「(金沢副知事については)自民党で委員会をつくって検討されているので、ここで私がコメントしない方が良いのではと思っている。私の副知事をずっと務めてくれ、一緒に仕事をしてきたというのはあるので、そういう意味では『望ましい』とは言えるのかもしれませんけど、これは自民党の委員会(検討調査会)の方で十分ご議論いただければいいのかなと思います」

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