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「コロナ禍の子育ても、先行きの見えない不安は震災の時と同じ」と話す向井祐美さん=神戸市須磨区
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「コロナ禍の子育ても、先行きの見えない不安は震災の時と同じ」と話す向井祐美さん=神戸市須磨区

 阪神・淡路大震災後、多くの母親らが先行きの見えない不安の中で子育てをした。震災時、生後4カ月の長男がいた神戸市須磨区の病院職員、向井祐美(まさみ)さん(52)もその一人だ。「新型コロナウイルスの感染拡大による不安や孤独感は震災直後の子育てと似ている」。コロナ禍で子育てをする親たちへのエールを込めて、26年前の経験を振り返った。(貝原加奈)

 25歳で結婚、震災前年の1994年8月に長男を出産した。当時は同市垂水区の一軒家で親子3人暮らし。大きな揺れで、とっさに寝ていた息子の上に覆いかぶさった。自宅に大きな被害はなく、中央区の実家は全壊したが両親は無事だと分かった。

 水道、ガス、電気が使えなくなる中、幼い長男を抱え、マイカーのラジオで情報を得た。「必死だった。どうやって生活していたのかさえ覚えていない」。4、5日後、ライフラインが全て途絶えた。そこで北区にある夫の親戚宅を頼り、夫の両親や姉とともに6人で身を寄せた。

 面識のない親戚の家での避難生活。「環境が変わり、息子の夜泣きが激しくなった」といい、迷惑をかけまいと夜中に授乳を繰り返した。夫らは震災で全壊した実家の片付けに向かうため、早朝には起き、4人分の弁当を作った。

 自身の両親は実家の敷地にトレーラーハウスを置き避難生活を送っていた。気がかりだったが、遠慮から、固定電話を借りることは極力控えた。たまにかける電話で「元気? 会いたいね」と話すと、思わず涙があふれた。それでも「もっと大変な人いるんやから。こんなことで弱音を吐いてたらあかん」と自分に言い聞かせたという。

 しばらくして自宅に電気が復旧し、ようやく戻ることができた。給水車からもらってきた水をカセットコンロで沸かし、息子をお風呂に入れた。

 ただ元通りとはいかない。震災前にしていたような育児書通りの子育てはできない。「急に育児が振り出しに戻ったようだった」。楽しみにしていた散歩も、離乳食作りも諦めた。

 震災翌年に須磨区へ引っ越し、数年後には次男を授かった。今でもこの時期は、義母と震災当時を思い起こす。「あの時、孫がいたから頑張れたのよ」という義母の言葉がうれしかった。

 夫は2012年に大腸がんで死去。社会人になった長男は「お母さんを1人にできない」と今も一緒に暮らしてくれている。「非常事態には、幼い子どもがいる母親の不安は相当なもの。そんな中で笑いかけてくれるわが子の存在に、きっと心強さを感じられるはず」。子育て中の親にメッセージを送った。

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