年齢や障害とらわれず、誰もがおしゃれを 原点は1・17
2021/01/12 15:00
ユニバーサルファッションを紹介する自著を手にする見寺貞子さん=神戸市中央区小野柄通
年齢や障害の有無などにとらわれず、誰もがおしゃれを楽しむ「ユニバーサルファッション」。昨今、アジア圏にも波及する概念は、国内では26年前の阪神・淡路大震災にルーツを持つ。それを広めた第一人者の見寺(みてら)貞子・神戸芸術工科大教授(65)は、震災を機に若者中心の服飾文化に疑問を持った。「全ての人の心を豊かにするのがファッション」。衣服を通じて、多様な生き方を尊重する社会の実現を目指している。(金 旻革)
関連ニュース
「安室ちゃんは救世主」一大ブームのブーツ、被災の街甦らせる
神戸の女子高生“御用達”のかばん 60年超、親子で愛用するファミリアのロングセラー
元カリスマ読者モデル・小川淳子さん死去 39歳、アパレル経営者
ファッション企画を専門とする見寺教授は、シニア向けの洋裁教室を加古川ヤマトヤシキ(兵庫県加古川市)などで開催。高齢女性らが自宅で長年眠ったままの衣服のリメークや、帽子やスカーフなど小物雑貨との組み合わせなどを学ぶ。
「年を重ねると腰が曲がったり、おなかが出たり体形は変化する。体温調節などの生理機能も低下するので、実は高齢になるほどおしゃれの重要度は増してくる」と見寺教授は言う。
専門学校でデザインを学び、1980年に近鉄百貨店に就職。百貨店が流行と生活文化の発信源だった時代で、バイヤーとして欧州各地を飛び回った。「ファッションは若者のもの」と考えていたが、震災がターニングポイントになった。
95年1月17日。前年から教員を務める神戸芸術工科大へ大阪府東大阪市の自宅から向かい、学生や教員の安否確認に奔走した。
その時、気付いた。靴はパンプス。長靴は持っていない。カシミヤのコートはあったが、セーターもダウンジャケットもない。「レストランでティラミスを食べる生活」を提案してきた見寺教授は、災害時に役立つ服を持っていなかった。
ファッションの存在意義を見失ったが半年後、行き交う人々の姿が色味を帯びているように見えた。被災者から「こういうときだからこそ明るい服を着たい」と聞き、心を豊かにするファッションの力を知らされた。
96年には重度障害の男女25人をモデルにファッションショーを企画。寝たきりや車いすに乗る人々が生き生きとおしゃれを楽しむ姿を発信した。表現する場の重要さを実感し、見寺教授はユニバーサルファッションの普及をライフワークに決めた。
震災10年に始めた「兵庫モダンシニアファッションショー」は一昨年まで15年間続いた。高齢化社会を意識した取り組みは海外でも関心を集め、3年前には中国で高齢者や障害者をモデルにしたファッションショーの実現につなげた。
「全ての人にファッションが必要なことを震災から学んだ」と見寺教授。障害者の衣服を専門的に扱う店が登場することに期待し、「どんな立場の人でも当たり前におしゃれを楽しむ社会が理想」と信じている。
【特集ページ】阪神・淡路大震災