尼崎JR脱線事故で重体 懸命リハビリ16年、陶芸の道へ

2021/02/05 13:30

「楽」の字をデザインした大皿を持つ鈴木順子さん(左)と母もも子さん=西宮市内(撮影・大山伸一郎)

 「人生がストップした」-。2005年の尼崎JR脱線事故で一時は意識不明の重体に陥り、後遺症を負った鈴木順子さん(45)=兵庫県西宮市=の言葉に、母もも子さん(72)はずっと胸を痛めてきた。「人生、スタートしよう」。そう願い、自宅の一角を改装した陶芸工房を6日にオープンさせる。陶芸は順子さんの子どもの頃からの趣味で、事故後もリハビリを兼ねて親しんできた。3年後の作品展を目標に、制作に励む。(中島摩子) 関連ニュース あの時、生死を分けたものは… 1両目乗車の男性 尼崎JR脱線事故 発生時刻「やっぱり娘と一緒に現場にいたかった」 長女亡くした女性 大学生の息子、衣類の袋から黒色の「トリアージ」 尼崎JR脱線事故、遺族の証言

 05年4月25日。30歳だった順子さんは、パソコン講座に向かう途中、快速電車の2両目で事故に巻き込まれた。約5時間後に車両から救出されたが、脳挫傷と脾臓(ひぞう)損傷、出血性ショックなどで意識不明が続いた。
 その頃、もも子さんは病室で「元気になったら、陶芸をさせてあげたい」と願っていたという。順子さんは小学生で陶芸を始め、就職後も教室に通った。高校では書道部に所属、武庫川女子大短期大学部の生活造形学科ではデザインを学ぶなど、創作活動は常にそばにあった。
 順子さんが目を覚ましたのは事故から約1カ月後。言葉を発したのは約5カ月後だった。それから約16年間、リハビリに励む毎日を送ってきた。
 今は車いすで自由に移動し、食事など日常生活の多くは一人でできる。記憶力低下などの後遺症も改善がみられる。劇的な回復を遂げた一方で、順子さんは「周りは人生が進んでいるのに、自分は止まったまま」と何度も口にした。
 そんな最中の昨年6月、父正志さん(75)が病気で亡くなった。母娘2人暮らしになり、今後の生き方について共に思いを巡らせた。順子さんが少しずつ再開していた陶芸に一層取り組める環境を整えることで「社会とつながっていきたい」(もも子さん)と考え、車庫スペースの改装に取り掛かった。
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 順子さんは昨秋から、同県宝塚市の陶芸家武田康明さん(52)の元に週1回通う。武田さんが評価するのが、順子さんの絵付けだ。例えば「河」という字の「さんずい」に魚をデザインするなど「作業はゆっくりだが、変化する文字はユニークで一筆一筆に思いがこもっている。人となりが作品に出る」と話す。
 事故の影響で物が二重に見えたり、まぶしかったりするが、「集中したり、片目を閉じたりすれば大丈夫」と順子さん。「記憶や思い出はなくなってしまうけど、作ったものは残る」。そう言ってほほ笑んだ。

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