兵庫と閖上、交流のシンボルに ボランティアと住民植樹「鎮魂と希望の桜」

2021/03/05 15:00

閖上地区の日和山公園に植えられ、花を付けた2代目のオオシマザクラ=2019年4月、宮城県名取市閖上4、日和山公園(ひょうごボランタリープラザ提供)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区に、被災者支援のため兵庫県から入ったボランティアの人たちと地元住民が植えた1本の桜の木がある。「鎮魂と希望の桜」と名付けられ、毎春小さな花を咲かせている。兵庫のメンバーは「交流のシンボルとして次の世代にも伝えたい」と、今年の開花を心待ちにしている。(竹本拓也) 関連ニュース 【写真】閖上地区の復興を願って植えられたオオシマザクラ=2019年4月 津波耐えた桜、そろばんに 小野の製造業者が2年かけ製作 東日本大震災から10年 ボランティア活動を回顧 神戸

 閖上地区は最大約9メートルの津波に襲われ、約750人が亡くなった。兵庫県のボランティアは震災の約1週間後から宮城に入り、支援活動を始めた。震災1年後からは閖上の被災者が多く暮らした「愛島(めでしま)東部仮設住宅」を訪れ、神戸から運んだ竹灯籠に明かりをともし、追悼行事の運営を手伝ってきた。19年5月の「まちびらき」にも駆け付けた。
 桜の木が植えられたのは13年6月。研修で宮城県を訪れた兵庫県の新人職員と地元住民らが、標高約6メートルの日和山がある公園にオオシマザクラを植えた。手入れは、兵庫から通うボランティアの人たちと仮設住宅の入居者らが続けてきた。
 塩害に強いとされる品種だが、震災時に津波をかぶった場所での生育は厳しく、花は初めの1、2年は数輪付けたが咲かなくなった。枯れる恐れがあったため、17年末に新たな桜を植樹。現在は毎年数輪の花を付けている。
 枯れる寸前だった「初代」も復活した。仮設住宅の元入居者で、閖上で自宅を再建した長沼俊幸さん(58)の庭で19年春から開花し、周囲を喜ばせた。
 新旧住民の交流のほか、震災の語り部としても奔走してきた長沼さん。兵庫への報告も兼ね、会員制交流サイト(SNS)で桜の写真を載せている。「庭で育てている植物の中でも一番元気。潮風が当たらないように植えたのが良かったかな」とほほえむ。
 復興が進み、兵庫との交流を続けてきた住民は、仮設から復興住宅に移ったり、自宅を再建したりとそれぞれの道を歩む。桜は今年も芽を出したという。長沼さんは「元住民のつどいと、兵庫の仲間との再会のシンボル。震災10年の歩みやこれからを花見で語らえたら」と話す。
 ひょうごボランタリープラザの高橋守雄所長(72)は、閖上に通うたび桜の様子を見つめてきた一人。震災から丸10年となる11日も現地で桜を手入れする。高橋さんは「厳しい環境で育った桜の開花を見ると、被災から『まちびらき』までの長い道のりと重なる。阪神・淡路を経験した兵庫と宮城の絆をこれからも深めていきたい」と誓う。

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