福島復興へ、出会いを生きる力に 子どもたちの学び支える居場所「みらいラボ」
2021/03/11 16:00
多くの生徒でにぎわう「みらいラボ」(NPOカタリバ提供)
東日本大震災、そして東京電力福島第1原発事故から10年がたつ。周辺住民らが先の見えない避難生活を強いられる中、地元の福島県双葉郡内にあった県立5高校は休校となり、思いを引き継ぐ形で「ふたば未来学園中学・高校」が広野町に生まれた。認定NPO法人「カタリバ」職員の長谷川勇紀さん(37)は、原発事故からの復興、人口減少といった地域課題の打開策を探る学園独自の授業を支援し、放課後には学内で「コラボ・スクール双葉みらいラボ」の運営に力を注ぐ。相次ぐ苦難を越えてきた生徒たちが、安心して過ごせる居場所を、生きる力につながる出会いを-。そう願いながら。(新開真理)
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-「みらいラボ」、どんな場所ですか。
「放課後から夜8時まで開けていて、1日60~70人が来ます。宿題をしたり、地域の課題解決を図る授業の相談をしたり、部活の後にふらっと来て、年の近いスタッフと学校や日常生活のことをしゃべったり。最近は新型コロナの影響もあり、オンラインでの学習支援にも取り組んでいます。職員が6人、長期インターンの大学生が数人常駐し、うち2、3人がラボに出ています。2019年度の来訪は年間のべ約1万2千人でした」
「原発事故の避難先に自宅がある生徒の半数ほどは寮に住んでいますが、学校でも寮でもない場所って、この町に多くはない。ラボができる前は日々、学校と寮の往復で、町内の小さなフードコートがたまり場になったことも。今ではここが居場所になっている子もいるようです」
-17年9月の本格開設から3年半になります。
「カタリバの本部は東京ですが、震災後、岩手、宮城県内で子どもの学習支援などを続けてきたことから、地域やNPOとの協働を目指す未来学園側から声が掛かり、私は手を挙げて16年9月に着任しました。当時の生徒たちは、小中学生の時に慣れ親しんだ地域を追われ、苦しみながら、流れ着いた先がこの学校でした、といった雰囲気があった。今は、いろんな経験を自分の手で取りに行く子が増えた印象があります」
「この春卒業する女子生徒で、(原発事故で全域が避難対象となり、今も帰還困難区域が残る)富岡町出身の子がいます。1年生の頃は『あなたが思う復興とは』という問いに『街を元通りに戻すこと』と答えていたが、福島第1原発がある大熊町で復興を支援する女性と出会って火が付いた。富岡町のPRに向けた商品を地元企業と共同で開発し、まちづくりを学ぶ大学に進みます。そして『復興とは、小さなアクションを積み重ねること』だと話してます。なんか、すてきなこと言うようになったな!みたいな。また、テスト前に勉強を教わる中で進路や将来の話になることも。親に言えなかった思いをラボで打ち明け、スタッフに後押しされて進学に結び付いた生徒もいます。活動を手伝ってくれる卒業生もいて、力強く感じています」
-原発事故の影響を受けた生徒も通っていますね。
「大半の人は一時的な避難だと思って、着の身着のまま故郷を離れ、その後何年も全く戻れなくなってしまった。県内外の親戚の家などを転々とする中で、転校先に溶け込めず休みがちになった子もいます。根を張る場所が奪われたことで、人との関わりが苦手だったり、学習に遅れが出たり。『放射能がうつる』などといじめられた経験がある生徒も少なくない。さまざまな要因があるとは思うが、保健室の利用者数も多かった」
「自分の力でどうにかなる問題ではないんですね。でも、誰だってつらいことはあるよね、という感じでふるまっている。私も、背景を考えすぎてしまうと、どう接していいか分かりかねるので、個人と個人として話すようにしています。時に、投げかけた言葉がブーメランのように返ってくることもありますが」
-漁業の活性化、再生可能エネルギーの普及など、地域の課題を探究する授業があるのですね。
「高校2年生から週に3回あり、テーマは生徒が考え、ラボでもサポートしています。(風評被害などに苦しむ)相馬市周辺の漁業を盛り上げようと、魚を加工した健康食品を作って販売した生徒もいます。企業と共同開発した商品の中には、地元で販売が続いているものも。双葉郡8町村の行政関係者、地場の企業や福祉現場で働く人、農漁業者ら、100人以上が授業やラボの活動に関わってくれています」
「地域との協働はかなり進んではきたが、本当に町のためになるかを突き詰めていくと、まだ見えていないものがあると思います。そして、今は公費と民間団体からの助成金、寄付で運営していますが、寄付はどんどん減っている。廃炉が30~40年後と言われ、地域の復興が途上の中、持続できる仕組みを考えないといけない」
-よそ者が入る意味を感じたことはありますか。
「幸い、地域から排除される感じは全くなかったですけど、学校はかなり…。こちらに来たのは、15年の開校から1年半の頃で、先生方は手探りで地域との協働に向けた取り組みを進めていたけれど、生徒たちの心になかなか灯はともらず、調整ばかり忙しい。そういう空気の中で着任したので、また来たよ、という感じで。最初の頃は『いついなくなるの?』と言われました。そこで一対一で、感じている課題や期待を伺い、それをベースに活動を組み立てていきました」
-私たちにできることは?
「あの時に何があり、今はどういう状況なのか。まずは知ってほしい。原発事故は福島のせいじゃない。原発は安全なものとして設置され、経済成長を後押ししてきた。あの事故は、これからの社会のあり方を考える上で避けては通れない出来事です。そして直接的な被害をこうむっているのは住民、子どもたちなので、忘れずにサポートし続けてもらえるとありがたいです」
「広野町は全町避難がいち早く解除されたこともあり、人口は震災前の9割くらいまで戻っていますが、地元の人たちは『子どもが減った』と嘆いている。原発に近い楢葉町や富岡町ではさらに少ない。常磐線の全線開通など明るい動きもありますが、帰還は進まず、更地や空き家が多くて、寂しく感じます。帰還困難区域は手つかずですし。私自身は、もはや仕事としてやってる感じじゃない。この地を支えていくことができるなら、どんな形であれ、やり続けようかなと思っています」
【はせがわ・ゆうき】1984年新潟市生まれ。東京学芸大卒。会社勤務を経て2014年、カタリバに転職。福島県いわき市在住。
【ひとこと】言葉を選びつつ、自然体。地元で好きな場所は海。「すごいきれい。気分転換に行きます」。身一つで被災地に入り、再建に苦闘する人々と交わり、道を切り開いてきた。ラボを「ホーム」と呼ぶ卒業生もいる。