「コ・ロ・ナ」の3文字使い短歌、心に染みるイラスト添えて -創作の裏に壮絶な日々「魂の時間」

2021/03/28 13:00

似顔絵師タナカサダユキさん=大阪府茨木市

 「しばらくは 離れて暮らす コとロとナ つぎ逢ふ時は 君といふ字に」-。似顔絵師のタナカサダユキさん(57)=大阪府=は、コ・ロ・ナの片仮名3文字を使ったイラストと短歌の作品を作り続ける。昨年4月、自身のフェイスブックに上げると、たちまち拡散。新型コロナウイルスの感染拡大でざらついた心を潤してくれる、と評判を呼んだ。テレビ番組で取り上げられ、兵庫県人権教育研究協議会の冊子の表紙にもなった。その後もコ・ロ・ナの3文字は「夢」や「喜」といった文字になり、癒やしの作品が次々に生まれた。しかし、創作の背景には、感染禍と母親の介護に苦悩する壮絶な日々があった。(中部 剛)


 -コ・ロ・ナの3文字を使った創作を始めたきっかけは?
 「大阪の百貨店の社員をしながら三十数年、似顔絵を描いてきました。ダイヤモンド・プリンセスが注目された昨年1月、母親の介護のため会社を休むことになりました。母を病院に連れて行ったとき、待合のポスターに書かれた赤い文字、コ、ロ、ナが目につき、組み合わせれば『君』という文字になるなと思いました。思いつくまま、短歌をフェイスブックに上げると反響があり、知人から絵を付けてくれと言われ、15分くらいで描き上げて掲載すると、3~4日で拡散されていきました」

 -どんな反響がありましたか。
 「癒やされたとか、ほっとしたとか、毎日コメントが寄せられました。広報紙の表紙やポップに使いたい、といった申し出が相次いだため、作者名を入れてもらったり著作物を私に送ってもらったり、ルールを決めて使ってもらっています。SNS(会員制交流サイト)の力は大きいですね。心に響くような内容であれば、放っておいても広がっていく」

 -その後もコロナの文字を使った作品を作っていますね。
 「感染第1波が収束したころは『喜』を作りました。短歌は『再会の 喜び交はす コとロとナ ビニール越しは 味気なけれど』です。その後、『夢』や『群』を使ったイラストも。このほか、マスクを帆に見立てた帆船や、浮世絵風のアマビエも描きました。最近では節分をテーマにし、『鬼』の中にコロナの言葉を見つけました。創作は誰もが思いつくことは避けたいですね。よく見つけたな、と言ってもらいたいんです」

 -現在は介護で百貨店をお休みされているのですね。
 「私の住む大阪府茨木市は大阪北部地震の被害を受け、今も仮設の建物があります。高齢の母が何度も骨折し、コロナ禍で危険にさらされていたため、休職を決心しました。コロナがなければ休職しなかったと思います。介護は本当に大変です。母が『痛い、痛い』と一晩中叫び、ずっと寝られないことがあり、食事や排せつの世話、床ずれの手当てもします。このつらさが積み重なれば、介護する人はうつになるんだなと感じますし、私自身、その直前までいったと思います。母にひどい言葉をぶつけたこともあります。申し訳ないとも思いますが、優しさばかりではやっていけません」

 -介護をしながら、創作活動ですか。
 「母がようやく寝静まった夜中に描きます。日中、ベランダから空を見上げ、雲の写真を撮っておき、それを元にした作品を作ることもあります。夜中にフェイスブックに投稿し、朝目覚めると『いいね』が寄せられています。それを見て、介護していても孤立していない、現実の世界から置き去りにされていない、と感じます」

 -どんな思いで作品を手掛けているんですか。
 「介護は大変でつらい、と感じることもあります。ですが、手に入れたものもある。似顔絵を描いたり、コロナの文字を使った作品や、ベランダから見上げた雲の写真を加工した作品を作ったり。経済的には豊かではなく、スリリングと感じることもありますが、魂の時間を手に入れた。コロナも介護もなければ、普通のサラリーマン人生だったと思う」
 「つらい介護の日々にも笑いはあります。ユーモアを交えて母のことをフェイスブックで発信することもあって、母からは『笑いもんにすんのか』と言われますけど。数カ月前から、自分の感情を母に言うようになったんです。すると、母の様子が変わってきました。『今すぐ死にたい、生き地獄や』といった愚痴がなくなりました」

 -似顔絵教室もされているんですね。
 「休職中ですから、オンラインで似顔絵塾をやっています。コロナ以降、思いを同じにする知人の誘いで『心似顔絵塾』を開いています。似ていなくともいい、描くことを楽しむという考え方です。人はもっと褒められたいと思ってうまくなっていくんです。そっくりに描く必要なんてない。似顔絵は、その人が未来に向かう鏡。私の場合、健康的に若々しく描いて、元気でいられますようにと手渡します。とても喜んでもらえます。無表情だった高齢者が笑ってくれます。コロナ前は、高齢者施設を訪ね、ボランティアで似顔絵を描いていました。収束したら再開したいですね」

 -タナカさんにとっての作品の意味は?
 「お見舞いで義母のところに4年近く通い続け、似顔絵や童謡を添えた色紙を届けました。60枚になります。私の描いている絵は、額に入れて飾るようなものではありません。戯(ざ)れ絵(え)です。ベッドの脇とかに置いて、心がふわっとなり、癒やされるならそれでいいんです」

【たなか・さだゆき】1963年生まれ、滋賀県近江八幡市出身。京都精華大でデザインを学び、百貨店勤務の傍ら似顔絵師として活躍。週刊朝日の山藤章二似顔絵塾で大賞に輝いた。現在、介護のため休職中。

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