「じゃあ、またね」が最後の言葉 20歳の娘を亡くした男性「死ぬまでその悲嘆を背負う」
2022/01/16 22:22
成人式の写真の前で、志乃さんへの思いを語る父、上野政志さん=16日夜、神戸市灘区八幡町4(撮影・中西幸大)
阪神・淡路大震災で神戸大学2年生だった長女志乃さん=当時(20)=を亡くした兵庫県佐用町の元小学校教諭上野政志さん(74)が16日夜、神戸市灘区の神戸学生青年センターで講演した。約50人の大学生らに、「自分の命は多くの人の支えの上にある。大事にしてほしい」と呼び掛けた。
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1995年1月、志乃さんは同区琵琶町の木造アパートで1人暮らしをしていた。17日は早朝まで友人と課題をしていたが、地震でアパートが倒壊し、下敷きになった。翌日、政志さんが自分の手でがれきやはりを取り除き、志乃さんを見つけた。窒息死だった。
震災の2日前は地元、南光町(現佐用町)の成人式に参加。「一歩一歩を大切に生きていきたい」と記し、家族でトランプゲームをして笑い合った。「じゃあ、またね」。志乃さんの最後の言葉だった。
講演では志乃さんの写真を映し出しながら幼少期から大学生までをたどった。家族での屋久島旅行、絵本を読んだり、楽しそうに絵を描いたりする姿…。柔ららかな表情を浮かべながら成長を振り返った。
子どもが親より先に亡くなる「逆縁」について触れ、「死ぬまでその悲嘆を背負う」と語った。
「生きていてほしかった」と政志さん。震災や戦争、いじめの犠牲者などで生きたくても生きられなかった人たちに言及し、「死を学んだ上で、生きていってほしい。苦悩を乗り越えた先に成長がある」と結んだ。(小野萌海)
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