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事故現場を通過する列車。会場は目隠しの布で覆われる中、車内の車掌が黙礼していた=25日午前7時54分、尼崎市久々知3(撮影・中西幸大)
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事故現場を通過する列車。会場は目隠しの布で覆われる中、車内の車掌が黙礼していた=25日午前7時54分、尼崎市久々知3(撮影・中西幸大)
脱線事故現場の前を通過する列車=25日午前7時16分、尼崎市久々知3(撮影・中西幸大)
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脱線事故現場の前を通過する列車=25日午前7時16分、尼崎市久々知3(撮影・中西幸大)
事故現場に向かって黙とうするJR西日本の労働組合のメンバーら=25日午前9時18分、尼崎市久々知西町2(撮影・山崎 竜)
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事故現場に向かって黙とうするJR西日本の労働組合のメンバーら=25日午前9時18分、尼崎市久々知西町2(撮影・山崎 竜)
尼崎JR脱線事故の追悼慰霊式で、言葉を述べるJR西日本の長谷川一明社長(左)=25日午前(代表撮影)
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尼崎JR脱線事故の追悼慰霊式で、言葉を述べるJR西日本の長谷川一明社長(左)=25日午前(代表撮影)

 乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故は25日、発生から17年となった。現場に整備された「祈りの杜」(兵庫県尼崎市久々知3)では、新型コロナウイルス感染拡大で中止されていた追悼慰霊式が3年ぶりに営まれた。遺族らが集まって手を合わせた。(堀内達成)

 祈りの杜は2018年、JR西日本が、電車が衝突したマンションや隣接地を買い取り、約7500平方メートルの追悼空間として整備した。マンションは4階部分まで残され、劣化を防ぐためアーチ状の屋根や壁で覆われている。慰霊碑、犠牲者の名碑、事故の概要を刻んだ碑文が並ぶ。

 19年には、式典会場を尼崎市内の別の場所から祈りの杜に移して初めて実施したが、20年以降はコロナ禍のため2年連続で中止となっていた。

 式典に先立ち、事故が起きた午前9時18分が近づくと、快速列車がスピードを落として祈りの杜の前を通過した。

 祈りの杜は周囲がシートで覆われ、一般には非公開とされた。来場できない遺族、負傷者にはオンラインでも配信した。

 JR西では、事故後に入社した社員が全体の約6割に増えており、事故の風化防止、教訓の継承が課題となっている。

 社員教育などを目的に、事故車両の保存施設を大阪府吹田市の社員研修センター内に24年秋ごろ整備する方針で、22年内にも着工する。一方で、遺族からは「車両は現場で保存すべき」「一般公開して」などの声も上がっている。

【尼崎JR脱線事故】2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が脱線し、線路脇のマンションに激突、乗客106人と運転士が死亡、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。JR西日本の山崎正夫元社長が業務上過失致死傷罪で在宅起訴され、井手正敬(まさたか)元会長ら歴代3社長も同罪で強制起訴されたが、無罪判決が確定した。

【特集】尼崎JR脱線事故

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