「沖縄を返せ」デモやハンスト、闘った県人会 工都尼崎 ウチナーンチュのよりどころに

2022/05/14 05:30

沖縄返還を求め、兵庫県庁前で行われたハンガーストライキ。約200人が集まった=1969年(「沖縄県人会兵庫県本部35年史」より)

 戦前、戦後を通し、多くの沖縄出身者が職を求めて日本本土に移り住んだ。国内有数の工業地帯だった阪神間への移住が増えたのは1930(昭和5)年ごろから。兵庫県内では尼崎市を中心に、沖縄出身者や子孫らのコミュニティーが今も形成されている。 関連ニュース 沖縄復帰50年「基地のない島」なお遠く 祝いの日とせず…尼崎の県人会「尊厳守られたか」 沖縄戦生き延びた17歳の整備兵 壕で会った「島守」の言葉を支えに 本で知る沖縄 那覇出身の編集者に聞く 手がかりは長年の「うねり」と「不発弾」

 沖縄県人会兵庫県本部の記録誌によると、前身の「沖縄人連盟兵庫県本部」は終戦1年後の46年8月に結成され、3094世帯が加入した。貧困世帯への救援活動や沖縄への帰還支援、交流会開催など相互扶助の役割を果たした。
 62年に現在の名称に改めると、沖縄返還を求める集会やデモを全国に先駆けて兵庫各地で実施した。67年、約80人が参加した首相官邸前のハンガーストライキには兵庫だけで25人を動員し、「闘う県人会」を印象づけた。
 有志によるウチナーグチ(沖縄の方言)講座など、沖縄文化の継承も活動の柱の一つ。会報誌「榕樹」では沖縄のニュースも伝え、2019年の首里城火災では義援金の募集に積極的に取り組んだ。
 県人会は例年、高校野球の沖縄代表校の応援に甲子園球場に駆け付ける。沖縄球児は全国の選手が憧れる大舞台で優勝をはじめ目覚ましい活躍をみせてきた。
 具志堅和男会長は「沖縄は長く厳しい環境に置かれたが、決して劣っているわけではない。県勢の闘いぶりはウチナーンチュの誇りですよ」と目を細める。

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ