兵庫と沖縄の50年 キャンプ通じて育む絆、基地問題に共感も 本土復帰から続く「友愛運動」

2022/05/17 21:22

兵庫・沖縄友愛キャンプで、兵庫県出身の戦没者を慰霊する「のじぎくの塔」を訪れた参加者=2021年11月、沖縄県糸満市(兵庫県青少年本部提供)

 沖縄は本土復帰から50年の節目を迎えた。住民保護に尽くし、沖縄戦末期に消息を絶った知事島田叡が神戸市出身だった縁で同じ頃に始まった「兵庫・沖縄友愛運動」も丸50年となった。青少年が両県を行き来する友愛キャンプは広い世代で絆を育み、かつて兵庫から参加した人たちは、米軍基地問題に分断された沖縄の現状に心を痛める。(大橋凜太郎、長嶺麻子) 関連ニュース 【写真】兵庫県の若者らが呼び掛けた寄付で建てられた沖縄・兵庫友愛スポーツセンター 【別カット】沖縄へ向かって出航する兵庫・沖縄友愛の船(1972年4月27日) 沖縄復帰50年「基地のない島」なお遠く 祝いの日とせず…尼崎の県人会「尊厳守られたか」

 ■「島守」の縁
 運動の起源の一つとされるのは、沖縄の本土復帰直前の1972年1月、兵庫県青年洋上大学の1期生らが「沖縄に青少年施設を贈ろう」と始めた募金活動だった。沖縄で「島守」とたたえられる島田の縁が若者を動かした。
 同年4~5月には、青少年らが沖縄に向かう「友愛の船」も出航。職場の人に誘われて参加したという吉田貴美子さん(72)=神戸市西区=は「混沌とした公設市場や米軍基地の広さ、海の美しさが印象的だった」と振り返る。
 11月には、両県が「友愛提携」を結んだ。友愛運動も本格化し、寄付は74年3月までに2億円近くになった。活動の発起人の一人で、現在は全国災害ボランティア支援機構代表理事の高橋守雄さん(73)=神戸市西区=は「県民の並々ならぬ熱量を感じた」と話す。
 翌75年、寄付と兵庫県の補助金で那覇市に「沖縄・兵庫友愛スポーツセンター」が完成し、沖縄県に寄贈した。当時から友愛運動に関わる観光園経営の国吉真哲さん(69)=沖縄県読谷村=は「施設の寄贈が礎となって、両県の友愛の意識が膨らんだ」と振り返る。
 ■生身の人間に学んだ
 「友愛キャンプ」が始まったのは73年だった。夏には沖縄県民が兵庫県民を迎えて平和学習に取り組み、冬は兵庫県民が沖縄県民を迎えてスキーを楽しむ。主催する兵庫県青少年本部によると、兵庫県が青少年同士の交流を県同士で続けるのは沖縄のみという。
 沖縄へのキャンプに3回参加したという自営業福岡昌章さん(45)=姫路市=は「基地問題など、沖縄の人が置かれている状況を、わが事のように考えるようになった」と振り返る。
 航空機の騒音の激しさや、戦没者を追悼する「慰霊の日」の存在…。沖縄の参加者との交流で歴史や生活に関する知識の乏しさを痛感した。キャンプを機に沖縄の郷土史を読みあさり、暮らしぶりを聞く中で、当事者意識が芽生えた。
 「肝苦りさ」という言葉も知った。あなたが苦しいと私も苦しいという、共感の言葉だ。福岡さんは「かわいそうだという上から目線の感覚ではなく、自分も悲しいという心境に至るようになった。生身の人間と話して、いろんな物の見方を教えてもらったからだと思う」と話した。
 ■コロナ禍で中断も
 運動は交流事業にとどまらない。95年の阪神・淡路大震災では、被害を受けた須磨海浜水族園に沖縄の有志から魚が贈られたほか、2019年の首里城火災では、兵庫で即座に募金活動が行われた。
 友愛キャンプは新型コロナウイルスの拡大後、実施できたのは21年夏分を延期して同年11月に沖縄を訪れたのみ。今年2月中旬に兎和野高原(兵庫県香美町)などで予定されたキャンプもオンラインになった。
 コロナに交流が阻まれる中で、県青少年本部は「いざというときにすぐに手をさしのべ合える関係は、友愛運動を続けて生きた50年の積み重ねがあってこそ。絶対に絶やしてはいけない」と力を込めた。

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