「この子の手を離したらあかん」結ばれた親子、20年後の巣立ち 「あなたと出会ったおかげ」
2022/06/06 19:00
1人暮らしを始めたアパートで調理をする=神戸市北区
 家庭での養育が難しくなった子どもたちに里親を求める「愛の手運動」。1962年に、公益社団法人「家庭養護促進協会」(神戸市中央区)が児童相談所や神戸新聞社などと協力して始め、60年を迎えた。活動開始以来1328人の子どもが、里親家庭に迎えられてきた。愛の手運動がきっかけとなって、結ばれた1組の親子を訪ねた。
          
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 この春、千香さん(22)は1人暮らしを始めた。6畳1間と小さなキッチンのアパート。神戸市北区の実家から徒歩10分ほどの場所だ。
 「いや、やっといたほうがえぇて」
 心配性の養父、聡さん(65)が、新居にくん煙剤をたいた。しばらくして火災報知器が作動。
 「だからやめときって言ったやん」
 大きな声を上げた千香さんの横で、聡さんが頭をかきながら、ベッドを組み立てる。
 親子の出会いは約20年前にさかのぼる。
 聡さんと佳美さん(63)夫婦は子どもに恵まれず、ともに30代前半から十数年不妊治療を続けた。半ば諦めもあり、「子どもができないなら夫婦で暮らしたい」と思っていた佳美さん。一方の聡さんは「子どもを育てたい」という気持ちを捨てきれずにいた。
 ある日、佳美さんがパート先の知り合いから、里親を求める記事「あなたの愛の手を」が、神戸新聞に掲載されていることを聞いた。何度か新聞を買い、2人で読んだ。
 親と離れ、施設にいる子どもたちの暮らしぶりに触れたのは初めてだった。「家庭環境に恵まれない子がたくさんいる。1人でも里親の元で暮らせる子が増えるなら、力になりたい」
 どんな子か分からないことに不安もあったが、夫婦とも少しずつ思いが変わっていった。
 「制度の話だけ聞いてみよう」と2人でJR神戸駅近くにある家庭養護促進協会の門をたたいた。不妊治療と並行して里親講習会などに出席。程なくして、男の子の里親を探す記事が目に留まった。すぐに協会へ申し込んだが、家庭の事情で話が立ち消えになったことを知った。
 「子どもは親を選べない。私たちも子を選ばないでおこう」
 次に紙面で紹介された子に迷わず申し込んだ。「動物好きのおてんばさん」。記事からそんなイメージを抱いた2歳の女の子が千香さんだった。
 それから10カ月ほどして、協会から「面会が決まりました」と連絡を受けた。聡さんは、神戸市内の乳児院にいた千香さんとの初対面の印象を、「ひどい人見知りだった」とはっきりと覚えている。だが、夫婦の思いが揺らぐことはなく、数回施設で面会してから、一緒に外出するようになった。
 約1年かけて、30回近くの面会を重ね、3歳になった千香さんの里親委託を受け、自宅に迎え入れた。体力を持て余さないようにと、週末は公園やプールに連れ出し、千香さんのあとをついて回った。
 雨降りでもカッパを着て三輪車で出掛けたこと、おしゃべりしながら一緒に入るお風呂がうれしかったこと…。面会が始まってからの出来事を佳美さんはノートにつづった。
 2枚の布団を敷き、3人で川の字で寝た。かわいい千香さんの寝顔に、ほっとする毎日だった。
     ※
 「あなたはママのおなかから生まれたん違うんよ」「私たちが一緒に暮らしたくて家に来てもらったんだよ」
 聡さんと佳美さん夫婦は、生みの親が他にいることを折に触れて伝えてきた。心掛けたのは、自然に受け止められるよう、分かりやすい言葉で語り掛けることだ。
 幼かった千香さんが一度だけ、「違う! ママが産んだんや」と泣いたことがあったという。だが、小学校に進むと、「児童養護施設で暮らす友達もいたので、特別な家庭とは思わなかった」と打ち明ける。
 その小学校では、読み書きがスムーズにできず、「宿題嫌や」と駄々をこね、なかなか下校しないこともあった。
 後に軽い知的障害があると分かった。
 感情を上手に言葉で伝えられないためか、「ずっとイライラしているような子だった」と夫婦は思い起こす。帰宅後、「手を洗った?」と聞いただけで泣きわめいたり、タマネギを投げつけてきたり…。教師から伝え聞く学校での姿と違って、手がつけられないこともあった。
 このまま養育していけるのか-。2人は心が折れそうになるたび、3人で過ごしてきた日々と、何事も全力でぶつかってくる千香さんの将来を思った。「この子の手を離したらあかん。もう少し信じてやってみよう」。8歳のとき、実の親子になる特別養子縁組を結んだ。
 中学に進学すると、勉強が苦手なことを同級生にばかにされ始めた千香さん。「私は人とは違うんや」。殻にこもり、孤立した。思い悩む娘を両親はそばで見守るしかなかった。
 ところが、特別支援学校の高等部へ入ると、転機が訪れる。ありのままの自分を受け止めてくれる教師と、現在も続けるスポーツに出会い、「心がほぐれていった」。持ち前の運動神経を生かして障害者の全国大会で優勝するまでに。両親が東北の会場まで応援に駆け付けてくれた。
 生みの母への気持ちを募らせた日もある。特別支援学校時代、佳美さんに打ち明け、家庭養護促進協会のケースワーカーに相談。「今の母親がどんな状況でも受け止められる年齢になってからね」と、対面はかなわなかった。今も会いたい気持ちは胸にあるという。
 特別支援学校を卒業して工場勤務を続けており、4年間ためたお金を元手に、この春の引っ越し先のアパートを決めた。「もっと貯金して、もう少し広い部屋に引っ越したいな」。それが目下の目標だ。
 娘の成長に刺激を受けた佳美さんは、小学校の特別支援学級の支援員をボランティアで続ける。「まさに生きがい。あなたと出会ったおかげね」。聡さんは「ちゃんと育ってくれてほっとしている。新生活もしっかりやれよ」とエールを送る。
 巣立ちの時期を迎えたわが子に、目を細める両親。家族の新たな1ページは始まったばかりだ。=文中仮名=(貝原加奈)