妻殺めた80歳「あかんたれの夫や」、繰り返す「ごめん」 老々介護の末、手にした1本の包丁
2022/07/24 16:00
殺害現場となった思い出の公園近くの市道=神戸市西区糀台2
「私が殺したことに間違いありません。ですが、妻の同意を得て殺しました」
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神戸地裁で1月11日にあった裁判員裁判の初公判。当時81歳の妻を殺害したとして殺人罪などで起訴された被告の男(81)が、かすれた声で承諾殺人罪の適用を求めた。そして9日後、20日の判決公判では主張が認められ、男には懲役3年、執行猶予5年が言い渡された。執行猶予が付く、いわゆる「温情判決」だった。
判決によると、男は妻が心中を承諾したことから、昨年5月18日夜、神戸市西区にある西神ニュータウンの街路に止めた車内で、妻の首や腹などを包丁で多数回刺して殺害した。
周囲からは「温厚」「生真面目」と評されていたという老齢の男。なぜ、長年連れ添った妻を殺害するに至ったのか。
妻は2014年ごろから病気で心身の調子を崩していた。男が自宅で訪問看護を利用しながら介護を続けた。
「『助けて』って言う勇気を持ってください。電話してくれたら、24時間駆け付けます」。供述調書によると、事件前、男の疲労を心配した訪問看護師は、そう声をかけていた。しかし、男は「人に迷惑は掛けられない」と聞き入れなかったという。
事件の背景には、介護疲れがあった。
1月11、12日に行われた証人尋問には、離れて暮らす40~50代の長男と長女が出廷した。7年に及ぶ介護疲れを知っていた2人は「父への恨みはない」と口をそろえた。さらに「父を早く(私たちの元に)返してほしい」と求めた。
長男は2週間に1回程度、西区の実家に両親の顔を見に来ていた。長男は法廷で、いつも腰や口、目などの痛みを訴えていた母が時折、ひもを首に巻いて絞めるようなそぶりを見せたことがあったと証言。実際に自殺する体力はなかったというが、「もっと状況を理解して力になってあげないといけなかった」と声を落とした。
弁護側に判決への希望を尋ねられると「献身的な看病に頭が下がる思い。量刑を軽くし、父を早く返してもらいたい」と答えた。
12日は、長女の供述調書が読み上げられた。母は明るく、楽観的。父は温厚でまじめ、心配性な性格と紹介された。
母は数年前から「お父さんがおらんようになったらどうしよう。その時はあなたのところへ行っていい?」と不安を漏らすようになった。長女は父が見ている前で、「面倒は見られない」と断ったという。「介護を、父一人に抱え込ませる原因になっていたのではないか」とも述べた。
証人尋問で長女は、事件当日の夜、夕飯のおすそ分けに実家を訪れたときの様子を詳細に語った。
母はいつにも増して体の痛みを訴え、泣き叫んでいたという。「息を吸うのも吐くのも大変そうだった」と振り返る。父は疲れた表情で「薬が効いてくるから頑張れ」と背中をさすってなだめていた。長女は「(2人を置いて)家に帰るんじゃなかった」と後悔を口にした。
元気なころは、趣味のカラオケを楽しんでいたという母。体調が優れない中でも、肉じゃがなどを持って行くと「おいしい」と言って食べた。
しかし、会うたびに「痛くてたまらん。もう死にたい」と訴えるようになった母に、長女は「死んだほうが楽なのかな、それなら楽にさせてあげたいと正直思っていた」と明かした。父と3人で安楽死を望む会話もしていたという。
裁判官は「母の『死にたい』は安楽死と結びついていたのではないですか」と指摘し、長女に尋ねた。「首やおなかを何回も刺されている。違和感はないか」とも。しばらく沈黙した後、長女は答えた。「違和感がないと言えばおかしいが、早く楽にさせてあげたいという気持ちでそうしてしまったのでは。(父は)それしか方法を知らなかったのかなと…」
13日、被告人質問。男は、初公判から変わらず、緑のセーターに黒のズボン姿で出廷した。おぼつかない足取りで証言席へ向かう様子に、「体調がしんどくなりそうなら早めに言ってください」と裁判長が気遣った。
「私の介護の苦しみと、妻の痛みを取り除くには心中しかないと思い込んでしまった」。弁護側の動機を尋ねる質問に、男は絞り出すような声で答えた。
そして、事件当日の夜について説明を始めた。
妻は体の痛みを訴え、薬が効かずに苦しんでいたという。「救急車を呼んで」「救急外来に連れていって」と求めてきた。救急外来は2日前にも訪れたばかり。聞く耳を持たない妻に、男はこう言ったという。
「あっちこっち病院に行って薬を飲んでも、痛みがなくならへんのやったら、死ななしょうないな」。すると妻は、「あんたが一緒に死んでくれるんやったら私も死ぬ」と返答した。
妻がトイレへ行く間に、台所の包丁を1本手に取り、手提げ袋へ入れたという。夜に2人で車に乗って向かったのは、元気なころに散歩していた近くの公園。路上に停車し、シートベルトを外した。
「ここよく来てた公園やで」。声を掛け、左手で助手席に座った妻の右手を握る。そして、右手で包丁を取り出し、何も言わずに刺した。妻は「痛い!」と大きな声を出した後、「お父さん、あんたも死んでよ」と言ったという。男は「わしも死ぬからな」と言いながら、複数回刺したと説明した。
検察官は被告の男に問うた。「妻はこんな死に方を望んでいましたか」。男は声を詰まらせた。「1回刺せば死ぬと思っていた。ほんまにかわいそうなことをしてもうたなあ…。後悔ばっかりしています」
妻を刺した後、自身も首を刺して死のうと考えていたという男は「妻を見て、恐怖で、恐怖で…。力も尽き、自分を刺せなかった」と供述。自分が生き残ったことを裁判長に問われると「ひきょうなことをした。あかんたれな夫や」と声を震わせた。
被告人質問の最後に、裁判長は「社会に出たら(妻の)後追いをしようという考えはないですか」と確認した。男は「事件で、子どもらにものすごく迷惑を掛けた。もう迷惑を掛けたくない。寿命をまっとうしたい」と述べた。
14日の論告求刑公判。男は最終意見陳述で、直筆の反省文を読み上げた。「妻は病気に苦しんでいましたが、時には好きな食べ物を食べ、子どもや孫の成長を見るという楽しみがあった。妻にごめん、ごめん、許してほしいと毎日謝り続けています」
20日、下された判決は、承諾殺人罪を適用した上で、懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)。裁判長は弁護側の主張を受け入れ、「『あんたが死んでくれるなら私も死ぬ』という発言は心中の決意を示したものである」と説明した。
検察側が指摘した、妻の遺体の手に残った抵抗した傷については「殺害を許容していても、苦痛から攻撃を避けようと行動する可能性もある」。包丁で複数回刺した残忍さは「苦しませることを意図したものではない」とした。
一方で、裁判長は「被害者が拒んでも入院を強く勧めるなど、殺人を回避する手段があった」と指摘。男が読み上げた反省文にも同じような言葉がつづられていた。「日がたつにつれ、どうしてあんな残酷な選択をしてしまったのか、他の方法はなかったのかを考える」と。
傍聴席から見た男。老いた横顔は、時には抵抗する妻を何度も刺した「殺人犯」に、時には家族の幸せを願う「お父さん」に映った。
男の回りには、支えてくれるわが子も、訪問看護師もいた。誰かにどこかでSOSを出せていたら。再び仲良く公園を歩く夫婦の姿が、あったかもしれない。(名倉あかり)