原爆の悲惨さ物語る遺影2万5千点 物言わぬ姿と体験記が紡ぐ共感 広島・追悼平和祈念館

2022/08/04 05:30

平和記念公園内にあり、今年開館20周年を迎えた国立広島原爆死没者追悼平和祈念館=広島市中区中島町

 原爆投下から、この夏で77年。被爆体験を語れる人が少なくなり、遺影や体験記の価値が高まっている。原爆死没者らの体験を後世に受け継ぎ、追悼する施設「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」(広島市中区)では、館内の大型モニターで、2万5千人以上の遺影と名前を公開。一瞬にして命を奪われた人や、後遺症で苦しんだ人の物言わぬ表情が、核兵器の悲惨さを雄弁に物語る。(門田晋一) 関連ニュース 死期を悟った父親が、語り始めた被爆体験 今、遺族が伝えたい「当たり前の尊さ」 「みんなどこへ消えたの」震える叫び 3歳で広島で被爆、孤児になった男性が小学生に記憶を語る <託す声~胎内被爆者と若者たち>(上)原爆投下の日、母が見た地獄

 同館地下2階の「遺影コーナー」。壁一面に広がるモニターが、年齢も性別もさまざまな108人の遺影と名前を映し出す。画像は次々に切り替わり、全員分を3時間で一巡。表示される人の多くが、一発の原爆で命を失われたことを想像し、あの瞬間、どういった光景を目にしたのか、考えを巡らせた。
 近くにある端末で名前を検索すれば、それぞれの被爆状況などを確認できる。ほかに国などが集めた体験記や原爆関連の図書など約14万3千件をデータベース化しており、閲覧室で名前や被爆地域、当時の年齢などから検索できる。体験記などは、インターネットでも閲覧できる。
 同館はオープン前の2001年から遺影と名前を収集してきた。久保雅之館長(64)は「『被爆の実相』を、広島市の広島平和記念資料館は遺品などで伝え、祈念館は被爆者の姿と言葉を重視している。祈念館ではそれぞれの被爆経験を、写真と体験記から共感してほしい」と話す。
 通常、被爆者とは被爆者健康手帳を所持する人を指す。直接原爆の被害を受けたり、2週間以内に市内に立ち入ったりした人や母親の胎内で被爆した人らがその対象だが、祈念館はそれ以外の人の写真も預かる。「手帳とは関係なく、当時原爆を経験した人の遺影と記録を少しでも多く集めることが、現実を伝えることにつながる」と久保館長は言う。
 ただ、原爆死没者名簿に記載されている人数は、昨年8月6日時点で32万8929人。祈念館で公開されている遺影は今月3日時点で2万5593人と、全体の7・8%だ。祈念館は数年前から、手帳の所持者が亡くなり、遺族から葬祭料の申請があった場合、遺影の寄贈を依頼するよう各都道府県に求めている。
 祈念館は今月1日、開館20年を迎えた。「写真や体験記の収集を加速させ、『二度とつらい思いをさせたくない』という被爆者共通の思いをつないでいきたい」。久保館長は強調する。
 ■阪神・淡路大震災の記憶伝える「ひとぼう」でも
 阪神・淡路大震災の記憶を継承する拠点施設「人と防災未来センター」(神戸市中央区)も、震災の犠牲者について05年から、同様の取り組みを行っている。遺族の了承を得た犠牲者について、顔写真と人柄、被災時の状況などをまとめた記録を、同センター資料室の冊子やパソコン端末から閲覧できる仕組みだ。
 元となる資料は、公益財団法人「ひょうご震災記念21世紀研究機構」の前身組織から支援を受けた神戸大学の「震災犠牲者聞き語り調査会」が、1998年以降、遺族ら363人に行った聞き取り調査で集めた。
 同機構は07年度にまとめた報告書で、同祈念館を念頭に「名前から一人一人の顔写真や記録へとアクセスできる設備を完備することも一考できる」と記載。ただ本年度、同機構にこの取り組みへの予算は計上されていない。現在閲覧できるのは115人分のみで、震災で亡くなった6434人の1・8%にとどまるが、担当者は「新たな掘り起こしは難しい」としている。

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