<託す声~胎内被爆者と若者たち>(下)被爆3世、世界に伝えるため
2022/08/04 05:30
「胎内被爆者の声が切れてしまわないよう、いろんな人が関わり、その糸を太くしたい」と話す貞岩しずくさん=西宮市上ケ原一番町、関学大(撮影・秋山亮太)
関西学院大文学部4年の貞岩しずくさん(22)=兵庫県西宮市=は、広島市南区で生まれ育った。原爆投下時、9歳だった祖父は放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた。貞岩さんは被爆3世にあたる。
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幼い頃、周囲の大人は原爆を詳しく話さなかった。ただ、誰かが亡くなると「原爆じゃけぇ」とひそひそ話が聞こえた。「語れないほど、言葉にできないほど、恐ろしいことなんだ」。子ども心に感じてきた。
関学大に進んだ貞岩さんは、平和について考えるプログラムを履修する。原爆胎内被爆者全国連絡会の代表世話人、二川(ふたがわ)一彦さん(76)=広島市東区=に出会ったのは昨年2月のこと。二川さんは、2020年に同会が発行した手記集の英訳を望んでいた。
「生まれた時から被爆者」。その題名に貞岩さんは激しく心を動かされる。ページをめくると、病気や差別、偏見に苦しむ胎内被爆者の声がそこにあった。
自身は原爆ドームの近くで育ち、小中高校で平和学習を受けてきた。でも、分かっていなかった。
「あの日はまだ、終わりが来ていない」
本のサブタイトルには「胎内被爆者の想い、次世代に託すもの」とある。貞岩さんは思った。「あの日の惨状を見てない人たちが言葉を紡いでいる。私たちは何もしなくていいのか?」
手記は47人分。1人では無理だけど、手分けすれば…。友人に声をかけると、口コミ的に広がった。国際基督教大や琉球大、北海道大など10大学の45人で、昨夏、翻訳プロジェクトが動き出した。
二川さんの手記を担当することになった貞岩さんはまず日本語で書き写した。どんな気持ちでつづったのか、少しでも近づきたかった。
二川さんの母が爆心地から800メートルの場所で行方不明になった長女を思い、言葉を絞り出す場面がある。「きっと生きているはずよ、かわいそうでならんよ…」
極限の心境を、どう訳せばいいのだろう。
「原爆忌」「被爆者健康手帳」などの言葉は?
メンバーの中には「英語に興味があったから」と、軽い気持ちで参加した人もいる。それでもインターネット上で相談し合い、戦争の史料を調べ、「うんうんうなりながら英訳した」。
◇
懸命な彼らの姿に、手記を寄せた胎内被爆者たちも力を得た。原爆投下時は母のおなかにいた副島圀義(そえじまくによし)さん(76)=芦屋市=もその一人。
「実体験した者にしか分からないと言っていたら、何だって共有できない」。そう考え、自分なりの継承を模索してきた。だから学生たちが英訳を通じて、追体験してくれたことがうれしかった。
「AOGIRI」。学生グループの名だ。原爆を生き延び、各地で2世、3世と命をつないでいる「被爆アオギリ」の木にちなんだ。
英訳は公開に向けた点検作業が進む。交流サイト(SNS)では広島や長崎のこと、平和を願うメッセージの発信もしている。「今を生きる私たちが思いを紡いでいかないと」(貞岩さん)。
戦争とは。原爆とは。体験はしていなくても、被爆者から託された多くの声を未来に伝えていきたい。平和の尊さを語り継ぐ、あのアオギリのように。(中島摩子)