<デスク解説>日中国交正常化50年の足元で 世代超え、なお苦難続く残留孤児たち
2022/09/29 14:20
戦後、中国で置き去りにされた残留孤児らの苦難は、日中国交正常化の歴史と重なります。専門家が「戦争被害ではなく、戦後被害」と話すように、今もこの日本で「戦禍」が続いているのです。
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国交が結ばれても、日本政府は容易に早期帰国を認めず、孤児らが肉親を探す「訪日調査」が始まったのは9年後でした。帰国を果たした孤児らは後に国家賠償訴訟を起こし、日本語の習得が遅れ、就職の障害になったと訴えました。
2007年にようやく、新たな支援策ができましたが、いまだに自分が何者か分からず、言葉の壁に悩み、差別を受ける孤児がいるのも事実です。
2、3世にいたっては、国の主な支援策の対象外。生活保護を受ける2世が目立ち、大半が不安定な雇用環境にあるとの調査もあります。高齢化した1世の介護に直面し、自らの老後にも不安を募らせています。
「私たちの存在は忘れ去られた」。ある2世は行く末を悲観していました。戦争がルーツだと知らない若い世代も増えていきます。国交正常化50年の足元でなお、二つの祖国で揺れる人々の存在を知ってもらえたらと思います。(行政担当デスク・井関 徹)