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親子で兵庫のフィギュア界をけん引してきた上野衣子さん(奧)と上野純子さん(現姓平松)=兵庫県スケート連盟提供
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親子で兵庫のフィギュア界をけん引してきた上野衣子さん(奧)と上野純子さん(現姓平松)=兵庫県スケート連盟提供

 平昌冬季五輪は9日に開幕する。注目のフィギュアスケートには、女子の坂本花織(シスメックス、神戸野田高2年)、アイスダンスの村元哉中(木下グループ)の神戸出身2選手が出場。男子の田中刑事(倉敷芸術科学大大学院)も西宮市のリンクに練習拠点を置く。兵庫が日本フィギュア界の一大勢力となった背景には、戦前からの長い歴史がある。その系譜を、いま一度振り返りたい。(山本哲志)

■パイオニア  

 兵庫フィギュアスケート史をひもとくとき、故上野衣子さんの存在を抜きには語れない。黎明(れいめい)期にトップ選手として活躍。戦争の影響で中止された1940年札幌冬季五輪の“幻の代表選手”でもあった。

 戦後は指導者や日本女性初の国際審判として活躍、坂本の出身クラブでもある神戸フィギュアスケーティングクラブ(神戸ク)の創立(56年)にもかかわった。同クラブと、のちに枝分かれした神戸ポートアイランドフィギュアスケーティングクラブの会長を務めるなど、「神戸組」の礎を築いた。

 長女の平松(旧姓上野)純子さんは母の夢を受け継ぎ、60年スコーバレー、64年インスブルックの両冬季五輪に出場した。その後は母と同じ国際審判の道に進んだ。「母がいなければ、今の私はいない」。平松さんはそう述懐する。

 その後、神戸クからは五輪銅メダリストの高橋大輔さんを育てた長光歌子コーチ、坂本や三原舞依(シスメックス、県芦屋高3年)を指導する中野園子、グレアム充子両コーチらが巣立った。平昌冬季五輪の日本代表監督を担う小林芳子・日本スケート連盟フィギュア強化部長も神戸ク出身だ。上野さんは2013年に94歳で亡くなったが、後進たちが兵庫と日本のフィギュア界を支えている。

■激震     

 苦難もあった。一つは時代の流れに翻弄(ほんろう)されたリンク環境だ。神戸クの発足時、本拠地は新開地にあった劇場「聚楽館(しゅうらくかん)」に併設されたスケート場だった。それが72年に閉鎖されると「阪神アイスパレス」(神戸市東灘区=閉鎖)へ。81年に国際規模のポートアイランドSC(同中央区)ができたが、秋から春先までの営業のため、夏場は通年使用できるリンクがある姫路や大阪を転々とした。

 95年の阪神・淡路大震災では同SCが被害を受けた。自転車で選手らの安否確認にあたった中野コーチは「スケートどころではなかった」と振り返る。自宅が全壊し、家族が下敷きになった選手がいた。クラブ員ではなかったが、神戸大スケート部の学生1人が犠牲になった。

 それでも、「滑りたい」という子どもたちの願いを受け、約1カ月後に姫路で練習を再開。神戸から通い続けた。

■リンクの“引力”

 姫路のリンクが06年に閉鎖された後、さらに厳しい環境の中で育成に取り組んできた兵庫のフィギュア界に転機が訪れた。13年、悲願だった通年型リンク「ひょうご西宮アイスアリーナ」の開業だ。

 オープン当初は禁止されていた一般営業時のジャンプやスピンは、平松さんらの働きかけもあって平日のみ解禁された。坂本や三原は夏場も登校前から早朝練習に励み、加速度的な成長曲線を描いた。岡山県倉敷市出身の田中も大阪から同アリーナに拠点を移した。

 今、神戸の二つのクラブでは、50人超のジュニア選手たちが競い合う。この10年で、尼崎や西宮にもクラブができた。平松さんは言う。「やっぱりリンクのあるところは強い。リンクの引力です」

 上野さんや平松さんら先駆者が紡ぎ、中野コーチら指導者の熱意が支えてきた兵庫の系譜は、これからも若い力で刻まれていく。

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