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小学生時代の貴景勝関(左)と関西奄美相撲連盟の山口久義会長(中央)=提供写真
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小学生時代の貴景勝関(左)と関西奄美相撲連盟の山口久義会長(中央)=提供写真
移籍した千賀ノ浦部屋の看板を持つ小結貴景勝=29日午後、福岡県篠栗町の部屋宿舎
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移籍した千賀ノ浦部屋の看板を持つ小結貴景勝=29日午後、福岡県篠栗町の部屋宿舎

 少年時代から磨き続けた「押し相撲」が、大輪の花を咲かせた。25日の大相撲九州場所千秋楽で幕内初優勝を果たした兵庫県芦屋市出身の小結貴景勝関(22)=本名佐藤貴信。優勝の可能性が高まる中でも冷静さを失わなかった表情が、初の賜杯を手にした瞬間ほころんだ。

 精神力の強さは、5歳で空手を始めたころには既に芽生えていたという。父佐藤一哉さん(57)は「極真空手は突きや蹴りを受けても、効いていなければ負けではない。(ダメージを見せない)根性があった」と振り返る。だが、あるとき全国大会で納得のいかない判定負けに泣き、「勝敗のはっきりした競技がいい」と、仁川学院小(西宮市)3年で相撲を始めた。

 小学生時代に所属した関西奄美相撲連盟の山口久義会長(70)は「とにかく音を上げなかった」と話す。ぶつかり稽古で何度倒されようと、足がけいれんしようと「もう一丁」と立ち上がる。勝負への執念は教え子の中でも際立っていた。

 食事も過酷な「トレーニング」だった。仁川学院小の前川和裕教諭(41)は「大量のご飯を『満腹を感じる前に』と急いで口に詰め込み、最後は手で押し込んでいた」。いつもわんぱくな少年が、食事時だけは無言だった。1年間で20キロ増やし、小学校卒業時には80キロを超え、当たり負けしない体をつくり上げた。

 当時から取り口は突き押し一本で「組んだ相撲は教えたことがない」と山口会長。貴景勝関自身、角界入り後も「課題より長所を伸ばす稽古をしてきた」と話すなど、ひたすら押し相撲を磨いた。

 小学校の卒業文集にはこう記していた。「僕は中学を出たらプロになり、17歳で十両、18歳で三役、20歳で横綱、優勝は35回以上したいです」。実際の大相撲入りは高校を経てからだが、19歳で十両、21歳で三役-とかつての夢をわずか数年遅れで実現している。

 初優勝とともに来場所の関脇昇進を確実にし、大関への道も開けてきた。山口会長は「来年、横綱になってもおかしくないほどの実力はある」と太鼓判を押す。22歳の郷土力士は、前だけを向いて突き進む。(山本哲志)

=貴景勝の歩み=

96年8月 芦屋市生まれ

03年4月 西宮・仁川学院小学校入学、同小3年時に本格的に相撲を始める

09年4月 報徳中入学

11年8月 報徳中3年で全国中学校体育大会個人を制し「中学横綱」に輝く。「ずっと一番になれなかったのうれしい」と涙を流す

12年4月 埼玉栄高入学

14年8月 埼玉栄高3年で世界ジュニア選手権無差別級優勝

14年9月 憧れていた貴乃花部屋に入門、初土俵。「師匠に少しでも近づけるよう、何でも学びたい」

14年11月 序ノ口優勝

15年1月 序二段優勝

16年3月 幕下優勝、新十両昇進を決める。場所後「関取になるまで帰らない」と決めていた芦屋に帰郷。「街並みが懐かしい」

16年11月 12勝3敗で初の十両優勝を果たし「一番に対する執着心が強くなった」と手応え

16年12月 新入幕が決まり、「佐藤」から「貴景勝」に改名。「しこ名に恥じないよう、これを機に飛躍したい」

17年9月 西前頭5枚目で横綱日馬富士、大関豪栄道を破り、初の三賞(殊勲賞)を受賞

17年12月 初の三役に昇進、貴乃花部屋から初の役力士

18年3月 右足を痛め初土俵以来、初の休場

18年10月 貴乃花部屋から千賀ノ浦部屋に移籍

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