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ユニホームに「がんばろうKOBE」のワッペンを付けて試合に臨むオリックス(当時)のイチロー=1995年3月31日、神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸
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ユニホームに「がんばろうKOBE」のワッペンを付けて試合に臨むオリックス(当時)のイチロー=1995年3月31日、神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸
震災の年に優勝し、被災地を勇気づけたオリックスのパレードで手を振るイチロー(左端)や仰木彬監督(中央)ら=1995年11月5日、神戸市中央区、東遊園地付近
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震災の年に優勝し、被災地を勇気づけたオリックスのパレードで手を振るイチロー(左端)や仰木彬監督(中央)ら=1995年11月5日、神戸市中央区、東遊園地付近
本拠地でがい旋パレードするイチロー(手前中央)らオリックスナイン=1995年9月26日、グリーンスタジアム神戸
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本拠地でがい旋パレードするイチロー(手前中央)らオリックスナイン=1995年9月26日、グリーンスタジアム神戸
「がんばろうKOBE」のワッペンをユニホームを付けてプレーするイチロー外野手=1995年、グリーンスタジアム神戸
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「がんばろうKOBE」のワッペンをユニホームを付けてプレーするイチロー外野手=1995年、グリーンスタジアム神戸

 第一線から退く意向を示したイチロー選手。神戸に本拠地のあったオリックスに9年間所属し、阪神・淡路大震災後の1996年には「がんばろうKOBE」を掲げて日本一を達成。数々のプレーで被災者を魅了し、勇気づけてきた。神戸を「第二のふるさと」と愛した名選手の決断に、兵庫県内のファンや関係者からは惜しむ声が上がった。

 「努力を積み重ねて結果を出し続けるイチロー選手の姿に、諦めない気持ちを教わった」。神戸市長田区の伊東正和さん(70)は震災で営んでいた茶販売店が全焼。再建までに約10年かかった。復興に向かって歩むことができたのは、海を渡って活躍するイチロー選手の存在が大きかった。「どんなに商売が厳しくても現役でいるイチロー選手に力をもらってきた。引退はまだ早いのでは」と現役続行を望んだ。

 かつてスパイクを提供していたスポーツ用品メーカー大手のアシックス(神戸市中央区)の尾山基(もとい)会長(68)は21日の昼すぎ、イチロー選手の代理人から一報を受けたという。「50歳まで続けると言っていただけに残念。もっと頑張ってほしかった」と惜しんだ。

 一方、イチロー選手が通った神戸市兵庫区のお好み焼き店「ひかり」の店主曽我部聡孔(さとこ)さん(80)は「日本の誇り。ご苦労さまと言いたい」と感慨深げ。神戸市須磨区の男性会社員(29)は「ついにこのときが来たか」とため息。中学まで野球を続けていた男性。「野球を始めたきっかけがイチロー。勝負強さと独特の構えにしびれた」。イチローモデルのバットとグラブを愛用した。「まずはお疲れさまでしたという気持ち」と静かにつぶやいた。(まとめ・前川茂之)

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