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御崎公園球技場でのチャリティーマッチ後、神戸製鋼OBたちと笑みを浮かべる故平尾誠二さん(後列左)=2011年12月、神戸市兵庫区
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御崎公園球技場でのチャリティーマッチ後、神戸製鋼OBたちと笑みを浮かべる故平尾誠二さん(後列左)=2011年12月、神戸市兵庫区
平尾誠二さんがこだわった低いスタンド。選手とファンが近い位置で交流できる=神戸市兵庫区
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平尾誠二さんがこだわった低いスタンド。選手とファンが近い位置で交流できる=神戸市兵庫区
神戸新聞NEXT
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 神戸の下町に羽を広げてから、もう20年近くになる。2002年のサッカーワールドカップ(W杯)日韓大会の前年に完成した御崎公園球技場。ネーミングライツ(命名権)で現在は「ノエビアスタジアム神戸」と呼ばれるが、完成当初は、独特の大型アーチから「神戸ウイングスタジアム」の愛称が付けられた。

 前身の神戸市立中央球技場時代は国際試合でペレやマラドーナがピッチを駆け、今はJ1神戸のホーム。サッカーのイメージが強いスタジアムだが、その誕生には「ミスターラグビー」こと平尾誠二が深く関わっていた。

 「『ドーン』というタックルの音が大事なんです。できるだけ選手と観客を近づけてください」。球技場を所有する市のコンペを勝ち抜いた神戸製鋼所と大林組の整備計画やその後の設計に、平尾はさまざまなアイデアを出した。

 臨場感を高めるため、スタンド最前列の高さはピッチから1・8メートルと低く設定した。サッカーW杯ではフーリガン対策で2・5メートル以上を求められていたが、平尾は「選手とファンの交流が大切」と主張し、W杯時のみ仮設でかさ上げした。スタジアム事業の企画設計を中心的に担った元神戸製鋼業務部担当部長の園田学(64)は「独特のセンス、視点があった」と、平尾の言葉を思い出す。

 試合が終われば敵味方なく交流するラグビー特有の「アフターマッチファンクション」を「戦っていた場所を見ながらやりたい」と、ピッチが一望できるパノラマレストランを提案。「『うまくなったらあそこでやるんや』と子どもたちに思ってもらえるように」と、スタジアム隣に芝生広場も設けた。選手時代に自由自在にフィールドを支配し、引退後も日本ラグビー界の改革に取り組んだ創造性が、遺憾なく発揮された。関係者の会合で「自分は伏見工の建築科。卒業設計もやったんですよ」と、“技術屋”たちの心をわしづかみにする話術もまた大きな魅力だった。

 ラグビーW杯の日本誘致や神戸開催に尽力した平尾は16年10月、53歳の若さでこの世を去った。1年半後の18年6月には、神戸初のラグビー日本代表のテストマッチが、平尾を追悼する「メモリアルマッチ」として同スタジアムで行われた。

 試合後、スタンド最前列に押し寄せた観客と記念撮影に応じ、渡されたユニホームにサインをする日本代表選手たちの姿があった。「平尾が思い描いていたのは、そういう光景だったはず」と園田は言い、こう続けた。「彼のいるW杯が見たかった」

 3カ月後、ラグビーW杯が開幕する。平尾の魂が宿る地に、世界中のラグビーファンが集う。

=敬称略=

(山本哲志)

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