スポーツ

  • 印刷
神戸製鋼時代の平尾誠二さん(中央)=1995年11月、神戸市須磨区、ユニバー記念競技場
拡大
神戸製鋼時代の平尾誠二さん(中央)=1995年11月、神戸市須磨区、ユニバー記念競技場
W杯の日本招致に尽力し、開催を心待ちにしていた平尾誠二さん=2015年5月
拡大
W杯の日本招致に尽力し、開催を心待ちにしていた平尾誠二さん=2015年5月
林敏之さん
拡大
林敏之さん
東田哲也さん
拡大
東田哲也さん
堀越正己さん
拡大
堀越正己さん

 20日開幕するラグビーワールドカップ(W杯)日本大会。日本ラグビーの顔として大会招致に尽力し、世界最高峰の舞台を心待ちにしていた平尾誠二さんは2016年、53歳で早世した。同志社大から神戸製鋼に進み、7年連続日本一に輝き、日本代表の主将や監督を務めた「ミスターラグビー」。ゆかりの深い人たちの言葉をたどれば、平尾さんの楕円(だえん)球への思いが伝わってくる。「ラグビーを楽しめ」-。(山本哲志)

 神戸製鋼や日本代表でともにプレーした堀越正己さん(50)=現立正大ラグビー部監督=には、今も記憶に残る言葉がある。1993年の全国社会人大会準決勝。神鋼は後半、三洋電機(現パナソニック)にリードを許した。そのとき、そばにいた平尾さんが笑みを浮かべながらつぶやいた。「おもろなってきたな」

 想定外の事態やピンチすら楽しむ気持ちの余裕。「あれを聞いたとき『負けないな』と確信した」と堀越さん。逆転勝ちした神鋼は決勝も制し、頂点に立った。

 同様の逸話は、若かりし時代にも残る。3連覇が懸かっていた85年の大学選手権決勝。同志社大は慶応大のスクラムに押されて苦戦していた。すると司令塔の平尾さんは、同級生のフォワード土田雅人さん(56)=現日本ラグビー協会理事=に「相手にトライさせたれ」と言い放ったという。

 2人の同期で、社会人チームのワールドで神鋼としのぎを削った元日本代表ウイング東田哲也さん(57)=六甲ファイティングブル総監督=は後日伝え聞いてうなった。苦手なところで我慢するよりも、仕切り直して攻めればいい。「試合中にそんな考え方ができるのか。すごいやつだ」

     ■

 思いやりの人だった。神鋼が初優勝した89年の表彰式。当時主将だった平尾さんは、前年までの主将で元日本代表ロックの林敏之さん(59)に賞状を受け取る大役を譲った。それまで2年間キャプテンを務め、けがのリハビリにも苦しんできた林さんは「『賞状もらってきてや』と言うんです。『林さんしかいない』と。うれしくてぼろぼろ涙が出てきた」としみじみ振り返る。

 W杯日本代表のフルバック、神戸製鋼の山中亮平(31)は、どん底の日々に平尾さんの言葉を支えにした。2011年に早稲田大から神鋼に入社してすぐ、口ひげを伸ばすための育毛剤がドーピング違反となり、2年間の資格停止処分を受けた。

 平尾さんも大学卒業後の英国留学中、モデルとして雑誌に載ったことがアマチュア規定違反とされ、日本代表を外れた過去がある。かつての自身を重ねてか、平尾さんは山中を食事に連れ出しては「期待しているから」と励まし続けた。山中は「W杯のメンバーに入れて、平尾さんも喜んでくれているはず」と天国の恩師に思いをはせる。

     ■

 W杯に選手で3度、監督で1度出場した平尾さん。引退後は政財界にも広がる知名度を生かして日本大会誘致の一翼を担った。「神戸人」として神戸開催への思いも強かった。

 元県芦屋高教諭で日本ラグビー学会理事の高木応光(まさみつ)さん(73)は平尾さんから相談を受け、1876年に神戸で初めて行われたラグビーの試合を伝える英字紙などを資料として送った。

 「歴史がある地域ということをアピールしてくれたと思う。決まった後、『ありがとうございます。一杯おごりますから』と喜んでくれた」と話す。

 今年1月、神戸の市街地が一望できる地に平尾さんの墓がつくられ、親族や大学同期による納骨式が催された。東田さんは骨つぼを見つめ、平尾さんがいなくなったことをあらためて実感した。

 W杯開幕を前に平尾さんの墓を参った東田さんは、「自由自在」と刻まれた墓石を前に「もうすぐやで」と語り掛けた。「楽しみやな」。空からいつもの豪快な笑い声が聞こえた気がした。ミスターラグビーが夢見た祭典が日本で、そして神戸で始まる。

スポーツの最新
もっと見る

天気(10月18日)

  • 25℃
  • ---℃
  • 70%

  • 21℃
  • ---℃
  • 70%

  • 24℃
  • ---℃
  • 60%

  • 23℃
  • ---℃
  • 70%

お知らせ