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スコットランド戦を観戦する第1回W杯の日本代表主将で、元神戸製鋼の林敏之さん=13日夜、横浜市の日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
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スコットランド戦を観戦する第1回W杯の日本代表主将で、元神戸製鋼の林敏之さん=13日夜、横浜市の日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
日本-スコットランド 試合前、台風19号の犠牲者に黙とうをささげるリーチ・マイケル主将(右から2人目)ら日本代表フィフティーン=13日夜、横浜市港北区の日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
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日本-スコットランド 試合前、台風19号の犠牲者に黙とうをささげるリーチ・マイケル主将(右から2人目)ら日本代表フィフティーン=13日夜、横浜市港北区の日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
日本-スコットランド 前半、相手にタックルされながらも突進するリーチ・マイケル=日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
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日本-スコットランド 前半、相手にタックルされながらも突進するリーチ・マイケル=日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
日本-スコットランド 前半、ハイパントのボールに飛びつく(左から)福岡堅樹、松島幸太朗ら=日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
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日本-スコットランド 前半、ハイパントのボールに飛びつく(左から)福岡堅樹、松島幸太朗ら=日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
日本-スコットランド ラグビーW杯で初の8強進出を決め、喜ぶスタンドのファン=13日夜、横浜市港北区の日産スタジアム(撮影・辰巳直之)
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日本-スコットランド ラグビーW杯で初の8強進出を決め、喜ぶスタンドのファン=13日夜、横浜市港北区の日産スタジアム(撮影・辰巳直之)

 1987年の第1回W杯で日本代表主将を務めた林敏之さん(59)=元神戸製鋼=は決戦の地で歓喜の瞬間を見届けた。「命を懸けて最後まで走りきってくれた。歴史を変えてくれた」。苦節を知る初代キャプテンは目を潤ませた。

 林さんは神戸製鋼で日本選手権7連覇に貢献。W杯には87年と91年に出場したが、2大会で1勝止まりだった。当時は環境にも恵まれず、第1回大会に帯同した選手以外のスタッフはわずか4人。現在のような代表チームの長期合宿はなく、遠征前は所属する企業の残業に忙しかったという。

 それでも桜のジャージーへの使命感は人一倍強かった。第1回は米国、イングランドに連敗。「最後も下手な試合したら日本に帰られへん」と、練習後のミーティングのたびに涙があふれた。最終戦の豪州には食い下がったが、勝利はつかめなかった。

 その後も欧州や南半球の壁が厚く、95年の第3回大会ではニュージーランドに145失点の大敗を喫するなど、日本ラグビー界は試練が続いた。一方、93年にW杯出場をあと一歩で逃したサッカー日本代表の「ドーハの悲劇」が全国の話題になった。林さんは「なんで(W杯に)出てないのに…」と苦々しく感じたこともあった。

 世界での屈辱を胸に刻み、独自の「走り勝つ」ラグビーに活路を見いだした日本。2015年の前回大会で3勝を挙げ、今大会は伝統国を連破し、初のベスト8に躍進した。32年前に礎を築いた林さんは言った。「日本ラグビーの歴史はこの試合のためにあった。(A組の)1位として胸を張って南アフリカに挑戦してほしい」。感無量の表情で、進化を遂げた日本フィフティーンを見つめた。(山本哲志)

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