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「まだマイナー。ファンを開拓しないといけない」と競技普及の重要性も訴えた関学大アメリカンフットボール部の鳥内秀晃監督(中央)=西宮市の関西学院会館(撮影・中西幸大)
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「まだマイナー。ファンを開拓しないといけない」と競技普及の重要性も訴えた関学大アメリカンフットボール部の鳥内秀晃監督(中央)=西宮市の関西学院会館(撮影・中西幸大)
退任会見の臨む関学大アメフト部の鳥内秀晃監督=8日午後、西宮市上ヶ原一番町の関学大上ヶ原キャンパス(撮影・中西幸大)
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退任会見の臨む関学大アメフト部の鳥内秀晃監督=8日午後、西宮市上ヶ原一番町の関学大上ヶ原キャンパス(撮影・中西幸大)
退任会見後、キャンパスを歩く関学大アメフト部の鳥内秀晃監督(中央)=8日午後、西宮市上ヶ原一番町の関学大上ヶ原キャンパス(撮影・中西幸大)
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退任会見後、キャンパスを歩く関学大アメフト部の鳥内秀晃監督(中央)=8日午後、西宮市上ヶ原一番町の関学大上ヶ原キャンパス(撮影・中西幸大)

 関学大アメリカンフットボール部を率いて12度の学生日本一を達成し、今季限りで勇退する鳥内秀晃監督(61)。8日に兵庫県西宮市内で開かれた記者会見では「永遠に日本のフットボール界を引っ張ってほしい」と母校への強い愛情をにじませた。

 -28年間を振り返って。

 「忙しかったですよ。シーズン終わった瞬間から来季のこと考えてますから。家業もあるんで休んでいる暇がなかった」

 -このタイミングでの退任理由は。

 「(母校には)これから5年、10年、20年、永遠に日本のフットボール界を引っ張ってほしい。年齢を重ねる中で若い子に引き継いでいかなければと。自分自身、長すぎたというのもある」

 -一番うれしかったことは。

 「ライスボウルでなかなか勝てなかったので。(2002年に)やっと勝てた時」

 -一番つらかったことは。

 「03年に(合宿中の練習で)平郡(雷太さん)を亡くした時。大事な子を守ってあげられなかった。そこから安全第一、人の命第一に変わった」

 -悔いは。

 「負けた試合。一番は(02~05年)4年間(甲子園ボウルに)出られなかった時」

 -最も心が動いたのは。

 「コーチ時代のOBの一言とか、おやじ(元監督の昭人さん)の一言とかが効いた。おやじから『もっと真剣にやれ』って厳しいことを言われ、そうなったら『あとは見とけよ』しかないです」

 -アメフトの魅力は。

 「準備の段階で5割決まる。5割のやり方を学生と一緒に考える。予定通りにいけば楽しいし、いかない時どうするか。あとはみんな参加できる。試合出られないところでも貢献できる」

 -今後のアメフトへの携わり方は。

 「試合は見に行きますよ。意見は言いますけど、べったりくっついていくのは考えてません」

(聞き手・尾藤央一)

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