五輪野球「天才」坂本と「努力」田中 伊丹で競い合い、同級生同士で目指す金
2021/07/31 13:35
ドミニカ共和国戦の9回、サヨナラ打を放ち、笑顔でガッツポーズする坂本=28日、福島県営あづま球場
兵庫県伊丹市の昆陽里小学校の卒業アルバムに、将来の夢を書いたページがある。東京五輪で金メダルを目指す野球日本代表の坂本勇人内野手(32)=巨人=は枠をはみ出すほどに「プロ野球選手になって新人王を取りたい」と書き殴った。すぐ右下には整った字で「プロ野球選手になって有名になるぞ!」と田中将大投手(32)=楽天=がつづった。投打の柱は同じ6年2組にいた。
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少年野球チーム「昆陽里タイガース」で2人を指導した山崎三孝さん(76)は「天才坂本と努力の田中。性格的に合わんのよ」と懐かしむ。目立ったのは坂本だった。投げても走っても抜群のセンスで花形の遊撃を守った。何事も自分が一番でないと気が済まず、練習後も常に5人ほどを引き連れてやんちゃをした。
捕手だった田中将は不器用で一人黙々とこなすタイプ。ある時、山崎さんはボールにいい回転をつける練習として、寝転がって真上に投げる方法を教えた。父親から苦情が入った。「天井にボコボコ跡が付いたらしく『監督がいらんこと言うから』って。部屋で一生懸命やってたんや」。家は阪神・淡路大震災後に改装したばかりだった。
坂本の田中将への対抗心は強かった。6年生で坂本が投手を務めた。大会の決勝戦で、2人の呼吸が合わない。ピンチで渋々三塁手と交代させられた坂本にゴロが飛ぶ。「バックホーム」と叫んだ田中将の指示を無視して一塁に投げた。
卒業後は田中将が脚光を浴びた。北海道・駒大苫小牧高で2年夏から甲子園大会を制覇。山崎さんも教え子を連れて観戦した。試合後、甲子園駅のバス停に坂本がいた。坂本の青森・光星学院高(現八戸学院光星高)は出場を逃していた。「おまえも来とったんか」と聞くとすぐに「青森山田高の応援や。知り合いがおる」と答えた。
山崎さんは「青森山田なら同じ時間にならない。本当は田中を見てたはず」と言う。年明けに再び会った時には、田中将と試合で対戦して3三振した後で坂本は「高校生であのスライダーを打てるやつはおらん」と追う立場を受け入れていた。
プロ入り後、坂本は屈指の好打者に成長した。2013年に楽天と戦った日本シリーズでは田中将から3安打を放った。昨年、31歳の若さで通算2千安打を達成した。昆陽里小の校門には、あと19勝に迫る田中将の日米通算200勝より一足早く、横断幕がかかった。
山崎さんは「今でも田中には向かっていっている意識がある。それがなければ、坂本はあそこまで伸びなかった」と言う。宿命の2人は高め合い成熟した。卒業から21年。再び同じユニホームで金メダルを目指す。
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