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かつて生野代官所にあったとされる板襖=生野書院
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かつて生野代官所にあったとされる板襖=生野書院
胡粉で描かれたとみられるサギ=生野書院
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胡粉で描かれたとみられるサギ=生野書院

 かつて生野代官所の建具だったと伝わる板襖4枚がこのほど、兵庫県朝来市生野町口銀谷の生野書院に寄贈された。近くの金蔵寺が長年保管していたもので、池のほとりの大樹のほか、空を舞い、水際でたたずむ7羽のサギが描かれている。(長谷部崇)

 生野史には「金蔵寺には(中略)陣屋の建具であったと伝唱する板襖四枚が保存されている」とある。陣屋とは代官の詰め所のことで、生野代官所は江戸末期の1843(天保14)年に一度焼失していることから、板襖は代官所が再建された後、明治初期に取り壊されるまで使われたらしい。

 板襖は1枚が縦1・8メートル、横1メートル。ふすまについて、生野史は「水鳥に波浪の図柄で、顔料は刹落して既に鮮明を欠くが、よく古色を失わず由緒の跡を遺している」と記述。板にうっすらと浮かぶ白色は、膠に溶いて下地として塗った、貝殻などを使った顔料「胡粉」とみられる。表面に付着して残ったようだ。

 このほか金蔵寺の西隣にある西福寺にも、生野代官所のものと伝わる、鶴が描かれたふすまが残っているという。

 生野書院の小椋俊司館長は「生野代官所の建物で使われた遺物はほとんど何も残っておらず、大変貴重。大切に保管したい」と話している。ふすまはしばらくの間、生野書院で公開する。午前9時半~午後4時半。月曜休み。無料。

 TEL079・679・4336

 【生野代官所】 織田氏、豊臣氏による生野銀山支配の後、徳川氏が生野城の本陣に生野奉行所を設置。1716(享保元)年、代官所に改組した。明治維新まで約270年にわたり、銀山で産出した銀、銅の収納や幕府への納入をはじめ、代官領の民政、財政、徴税、治安維持を担った。生野史によると、表口は南北約150メートル、裏行は東西約100メートルあり、米蔵や牢屋なども備え、白壁造りの高塀を巡らせていたという。1843(天保14)年に火災で焼けたが、再建。69(明治2)年の生野県設置で県庁舎となったが、71年の豊岡県への統合で建物は撤去され、大正末期に城壁や外堀も取り壊された。

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