但馬

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震災の4カ月前、神戸市内での結婚式で記念写真に収まる足立伸也さん、富子さん夫婦(中央)=足立悦夫さん、朝子さん提供
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震災の4カ月前、神戸市内での結婚式で記念写真に収まる足立伸也さん、富子さん夫婦(中央)=足立悦夫さん、朝子さん提供

 「いつくしみ深き 友なるイエスは」「悩み悲しみに沈める時も 祈りに応えて慰め給わん」。新婚の門出を祝い、参列者全員が賛美歌「いつくしみふかき」を歌った。この先の長い夫婦の歩みを思いながら。

 但馬で記録的な猛暑や水不足が続いていた1994年9月。神戸市内のホテルでは、豊岡市出身の足立伸也さん=当時26歳=と神戸出身の富子さん=同25歳=が、結婚式を挙げていた。

 チャペル前での記念撮影。傍らに立つのは、伸也さんの父悦夫さん(85)と母朝子さん(81)。伸也さんは第3子で末っ子の長男で、幼い頃から家族のアイドルだった。五荘小、豊岡北中を経て進んだ豊岡高校を卒業後、新聞配達をしながら専門学校で学び、神戸マツダに就職した。富子さんとは職場で知り合った。

 式場で晴れやかな笑顔を見せていた若夫婦。そのわずか4カ月後、阪神・淡路大震災で命を落とした。

   ◇   ◇

 挙式を控え、伸也さんはいつもぴかぴかに磨いていた車を売り、加古川市の新築マンションを買った。入居予定は当初より延び、95年1月27日に。2人は引っ越しはがきも準備し、新居での暮らしを待ちわびながら年末を迎えた。

 94年12月30日、伸也さん夫婦は豊岡市に帰省した。家族でカニすきを食べながら、伸也さんは朝子さんに、大好物の「ハタハタの鍋も食べたい」とせがんだ。

 2人は1月1日に出石神社に初詣をし、2日、神戸に帰った。帰り際、正月から豊岡駅前で働く朝子さんに顔を見せた。茶色いコートを着た伸也さんが、何度も何度も振り返りながら、駅に入っていく。「今もはっきり目に浮かぶんよ」。朝子さんはつぶやく。「虫が知らせたんかなあ」

 悦夫さんはその日、伸也さんから「今、神戸に着いた」と電話を受けた。それが父子の最後の会話となった。「食わしたれへんかったから…」。あの日以来、両親の食卓からハタハタの鍋は消えたままだ。

 95年の1月。但馬では5年ぶりという大雪で、3連休最終日の16日は、各地のスキー場もにぎわった。一方神戸では16日夕、新居に引っ越すまで実家に住んでいた富子さんが、鍋の材料を持って、伸也さんが住む神戸市灘区のアパートを訪ねた。古い木造2階建てで、伸也さんの部屋は1階の角だった。そして、17日午前5時46分を迎えた。

 「連絡がつかない」。悦夫さんと朝子さんが知らせを受けたのは、18日の朝だった。同日夜、何とか神戸にたどり着いた夫婦が目にしたのは、角部屋めがけて崩れ落ちたアパートの残骸だった。19日、冷たくなった新婚夫婦を救出した自衛隊員は、手を合わせて言った。「息子さんは、奥さんをかばっておられましたよ」。伸也さんは背ではりを受け、富子さんに覆いかぶさるように亡くなっていた。あの時着ていた茶色いコートも、がれきの下から土まみれで見つかった。

     ◇

 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から間もなく23年。被害は阪神間に集中したが、但馬で生まれ育った10~20代の若者たちも道半ばで命を落としている。首都直下型地震に南海トラフ巨大地震。日本海側の津波。日本では、どこに住んでいても災害と無関係でいられない。もちろん但馬でも。「減災」を身近な問題と感じてもらうきっかけとして、大切な人を理不尽に奪われた、ある豊岡市民の体験を紹介していく。(阿部江利)

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