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道頓堀に面した大阪・ミナミの歓楽街、宗右衛門町=大阪市中央区
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 吉左衛門町、九郎右衛門町、平右衛門町、久左衛門町…。江戸期に「天下の台所」として栄えた大坂中心部には、人名にちなんだ町がいくつもあった。これらの名付け親が、何と生野銀山の町役人だとする記述が、かつて兵庫県朝来市生野町の古文書にあったという。その中には大ヒット曲「宗右衛門町ブルース」(1972年)で知られる大阪随一の歓楽街・宗右衛門町の名も。ほんまかいな!?(長谷部崇)

 古文書は、江戸期に書かれた「加奉役由緒書」(年代不明)。生野銀山町で「加奉」と呼ばれる役にあった杢右衛門という人物が書いたとされる。文書自体は現在行方不明だが、生野史(77年生野町発行)に引用がある。

 話は1614年、徳川氏と豊臣氏の最終決戦「大坂の陣」までさかのぼる。時の生野銀山奉行・間宮新左衛門は、家来や鉱山労働者ら100人以上を生野から率いて徳川方へはせ参じ、大坂城外堀の水抜きや堀埋めに貢献した。手柄を立てた家来の町役人たちは戦後、褒美として幕府から名字帯刀を許され、加奉という新しい役に就いた。

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 加奉役由緒書によると、大坂の陣に参戦した加奉たちが授かった褒美は、それだけではなかったという。「先祖たちは道頓堀、長堀、西横堀沿いの町を名付けた」とし、町名の由来となった孫左衛門、藤右衛門、宗右衛門など、先祖12人の名を列挙している。

 この記述が、生野町で知る人ぞ知る“伝説”になってきたようだ。2007年には地元の郷土史愛好家グループの会報で、1843(天保14)年の大坂の地図にこれらの町名を確認できたと報告されている。

 ところがどっこい。大阪で取材を進めると、壁にぶち当たった。これらの町は江戸期、確かに存在したようだが、名前の由来がなぜか生野の加奉とつながらないのだ。近世の道頓堀やその周辺の開発過程を研究する、大阪歴史博物館の八木滋学芸員も「これらの町名が生野の人に由来するとは考えにくい」と首をかしげる。

 17世紀中頃の大坂の検地帳「水帳」によると、宗右衛門町では山ノ口屋「宗右衛門」、九郎右衛門町では塩屋「九郎右衛門」、久左衛門町では播磨屋「久左衛門」という町年寄が屋敷を構え、ほかの町でも、町名の由来とされる豪商や開発者の名が伝わる。実際に加奉が名付け親であったのなら、それに言及する記録が大阪側にあってもよさそうだが、大阪の文献をいくら調べても、生野の加奉に関する記述が出てこないのだ。

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 そこで、一つの推論として浮かぶのが、加奉役由緒書で記された加奉たちの名が創作であるという可能性だ。町を名付けたのと逆で「大坂の町名に合うように、先祖の名を書き換えた」と考えれば、大阪側の伝承とつじつまが合う。なぜそうしたか。「箔をつけるため」ではないか-。

 八木学芸員は「加奉の由緒そのものは事実を背景にしていると思われるが、大坂の町名に関する部分だけ唐突な印象を受ける」と指摘。「大坂の町名に先祖と似た名前の町を見つけるなどして、加奉という役職の由緒を補強するために書いたとみるのが自然だろう」と分析している。

■後代加奉は経緯確信

 大坂の陣の後、幕府から加奉役を賜った御証文は、1660年の生野の大火で焼失する。杢右衛門の「加奉役由緒書」は、その控えという体裁を取っているようだ。一方で、その後の歴代加奉は遠方から赴任してくる奉行や代官に対し、この地域独特の役である加奉の由来について、文書で度々説明する必要があったらしい。

 生野史はそのいくつかを紹介している。杢右衛門より何代も後の時代とみられる1838(天保9)年にも、加奉10人が連名で「先祖12人の名が大坂の町に残る」という内容を記す。

 元朝来市教委の柏原正民さんは「奉行や代官宛ての文書に偽りを書けば重罪になるはずで、うそと分かっていれば書かないだろう。町名の由来の真偽はともかく、後代の加奉たちがこのエピソードを固く信じていたことがうかがえる」と推察する。

 「生野の人間として加奉役のことを考える時、歴史の因縁を感じる」と話すのは、郷土史料館・生野書院(朝来市生野町口銀谷)の小椋俊司館長。織田信長の後、生野銀山を支配したのが豊臣秀吉。銀の本格的な産出が始まったのもこの時代とされ、秀吉の懐を大いに潤わせた。その死後、生野銀山の人々はかつての支配者が築いた大坂城を攻める側に回り、落城に貢献。その褒美として、徳川家康から加奉という役職を与えられた-。

 小椋館長は「生野の銀は多くの人手と長い日数をかけて、はるか大坂まで運ばれた。加奉たちは、大坂の陣で挙げた功績や、大坂とのゆかりを誇りとしていたのでは」と語る。(長谷部崇)

【加奉】大坂の陣の後、地親たちは「加奉行」の名称を与えられたが、生野奉行と同字では恐れ多いとして自ら「行」の字を辞退し、「加奉」と名乗ったとされる。生野史は「奉行に加えて事をつかさどる」の意味であろうとしている。同じく鉱山で栄えた明延や中瀬(いずれも養父市)でも加奉の記録が残り、生野と同様に大坂城外堀の水抜き作業に従事した功績が由来とみられている。

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